2014年10月25日土曜日

高野山の名宝展③

高野山の名宝展第一会場の最後を飾るのが快慶作四天王だ。高野山霊宝館で
一度は見ているが、うす暗くよく見えなかったが、今回は「奈良・国宝室生寺の仏たち」展で照明を担当した空間デザイナー池田氏の展示とのこと。期待が高まった。LED照明だろうか、四天王のそれぞれの動きを照明で影を移す事により際立たせている。1番左端にある広目天が快慶が直接担当した像で、抜群の出来で、彫が鋭く、衣文構成が緊密で肩喰も精細に富む。左端にあることで横からもよく見え、露出展示の効果抜群である。他の四天王も快慶風を示すとみてよいが、広目天に比べればやや手がおちる。U案内人もやはり広目天が1番よいと言っていたので、おそらくその他は快慶工房の弟子の製作であろう。その後この四天王が東大寺大仏殿の四天王の雛形となるが、雛形は広目天のみで、運慶やその他の仏師が雛形を引き取ったのち、新たに快慶一門で製作されたという説が自然だと思う。広目天から今はなき四天王に思いを馳せ、第二会場へ向った。

2014年10月17日金曜日

高野山の名宝展②

高野山の名宝展で、平成23年に高野山で出会った快慶作の執金剛神立像に
再会した。まず驚いたのが高野山霊宝館では、右足の支えの棒があり不自然さを感じたが、今回奈良国立博物館の解体修理により左足と金剛杖のみで自立していたことだ。支えの棒があるので快慶らしくないと感じていた。しかし平成23年秋に快慶作と判明し、近頃施主が東大寺復興を成し遂げた重源(ちょうげん)上人との文書が内部から発見されニュースにもなった。今回の展示を見て改めて快慶作と確信した。今回はガラスケースなしの露出展示のため写真では判りにくい部分まで細かくみれた。全身を支える片足には、力強い血管が浮き出た表現がされ、足先をまげ踏ん張っている。快慶が唐から請来した仏画を忠実に再現し、快慶独自のリアリズムを超えた表現を木彫仏で表したことは驚きだ。今回の展覧会では運慶・快慶の表現力にやられっぱなしだったが、まずこの執金剛神立像で一発やられたという感じだった。離れがたい気持ちを抑えて第二展示会場に降りて行った。

2014年10月12日日曜日

高野山の名宝展①

本日(10月11日)より六本木のサントリー美術館で「高野山の名宝展」が開催さ
れるので、仏像クラブで出かけた。午後3時に集合したため会場の混雑は一段落しており、ゆっくりと鑑賞できた。来年が高野山開創1200年にあたり、弘法大師空海が唐より請来した仏像や平安時代の仏像も展示されていたが、なんと言っても圧巻だったのが鎌倉時代の運慶・快慶の仏像だった。会場はふたつに分かれており第一会場の見所は近頃「重源上人」が快慶に命じて作らせた銘文が発見された「執金剛神立像」(しゅこんごうしんりゅうぞう)だ。以前見た深邪大将と対で近くから露出展示でみると筋肉の表現がすばらしく、ものすごい迫力だった。快慶の四天王もいずれもすばらしく、それぞれのポーズが決まっていた。第二会場に階段で下りると、快慶の「孔雀明王」があり展示空間を圧倒する存在感を放ち、最後の運慶の八大童子の部屋では、おもわずU案内人が興奮し、私の貸した双眼鏡を離さないほど、空間芸術家演出のドラマチックな照明とあいまって、運慶の完成した力量に圧倒された。帰りによった居酒屋で運慶・快慶について多いに語り合った仏像クラブの面々だった。

2014年10月3日金曜日

企画展「仏教美術逍遥」

今週の日曜日に神奈川県立金沢文庫に企画展「仏教美術逍遥」を見に行った。
金沢文庫のツィッターのすすめで、展覧会を見る前に手のひらサイズの図録を購入してみることにした。一階には個人像の天王像と以前話題にになった平泉の中尊寺に似た像がある横須賀大善寺の天王立像が展示されていた。2階にあがると、ちょうどボランティアガイドの説明が始まっており、静かに後をついて鑑賞した。像高わずか50センチにみたない聖観音像が展示されていた。この聖観音像は仏像クラブで訪れたことがある龍華寺所有のもので、最近後補の金泥塗りを落として古色仕上げとなったとのこと。未開封の蓮華にそっと手を添えるポーズは比叡山延暦寺横川中堂安置の聖観音と同じで、平安時代後期の作風をよく表している。他にも金沢文庫に隣接する称名寺の隣にかつてあった海岸尼寺の2メートルを超える十一面観音や龍華寺に伝わる善光寺式阿弥陀も展示されていた。善光寺式阿弥陀の5つの特徴など、ボランティアガイドの説明もわかりやすく小さい会場ながら楽しめた。金沢文庫は残念ながらしばらく休館となるが、学芸員の「仏の瀬谷さん」のワールドに浸って金沢文庫をあとにした。