私が幼いころ新宿のデパートで「六波羅蜜寺展」が開かれた。
そのなかで強烈な印象に残ったのが、運慶の四男「康勝」の空也上人像だ。口から人型の仏を6体出しているのが子供ながら興味をもったものだが、それが阿弥陀如来で「南無阿弥陀仏」ととなえている様を表していることは、大人になってから知った。仏像クラブで何回も京都を訪れながら、六波羅蜜寺を参拝したのは、一昨年の秋が初めてになった。金色の文字で「六波羅密寺」と書かれたスリッパを履いて収蔵庫のほうに向う。運慶の地蔵菩薩を拝観したあと、空也上人像と再会した。首から鉦鼓(しょうこ)を下げ、右手に鉦鼓を打ち鳴らす撞木(しゅもく)、左手には鹿杖(ろくじょう)、草履を履く。空也上人は生前念仏を唱え鼓などを叩いて踊る「踊躍念仏」(ゆやくねんぶつ)を行っていたと伝えられるが、この像はその姿を表したもので、空也上人の人となりをよく表現している。線によるしわを多用せず、骨格を意識した肉付けを施す顔は興福寺北円堂の無著・世親像に通じるものであり、おそらく運慶の指導の下、康勝の巧みな技を見ることができる。収蔵庫のすばらしい展示に満足して、その日の宿に向った。
平成21年の秋、仏像クラブで始めて山梨を訪れた。本や観光案内に書いてあった塩山の方光
寺に向う。ここは鎌倉時代の頼朝の家臣甲斐源氏の安田氏の創建だが、平安時代末期の古仏も多く伝えられている。平安末期に円派が製作した大日如来像など貴重な仏像が多いことで知られている。中でも魅力的なものが、この天弓愛染明王だ。愛染明王の中で、顔の正面で弓を構え、天に向ってまさに弓をいようとしている姿を「天弓愛染明王」といい、日本には数体しかない貴重な仏像だ。像高は90センチ余で、ヒノキの寄木作り。洗練された作風から都の一流仏師の手によるものではないだろうか。一同くいいるように見ながらお寺をあとにした。
今回の展覧会の冒頭はインドから日本への飛天の流れを展観(てんかん)するもので、
日本古代の代表的な飛天の彫刻として、法隆寺の楽天(がくてん)が出展されていた。楽天とは天人がたて笛や琵琶を奏する姿をいい、法隆寺金堂の中の間つまり法隆寺釈迦三尊の上の天蓋(てんがい)に取り付けられたクスノキ材の飛天だ。お顔は東博の法隆寺宝物館の48体仏と同じ白鳳時代に流行した童子形であらわされている。双髻(そうけい)を結い、胸のあいた袖の長い上衣をまとい、下半身には裳をつけ、琵琶等の楽器のいずれかを奏する姿で、蓮華坐上に座する。肩には天衣がかかり、天衣は木製透かし彫りの光背へと及び、最後はパルメット唐草文様へと展開する。世界最古の木造建築である法隆寺金堂の内部を飾るにふさわしい楽天だ。今回は二例しか紹介されていないが、童子形のものから多彩な表現がなされていて興味がつきない。混雑した会場で和ませる作品だった。
本日遅まきながら、サントリー美術館で開催されている「天上の舞・飛天の美」展にでかけた。
展覧会は飛天にスポットをあてて、日本の古代から中世の飛天の姿を中心に飛天発祥の地インドから中央アジア・中国・朝鮮の作例もあわせて彫刻・絵画・工芸にわたって広く紹介するユーニクな展示構成となっていた。入ってすぐが「飛天の源流と伝播」のコーナーになっており、大谷探検隊が発見した中央アジアのクチャの舎利容器(複製)やインド彫刻などの飛天が紹介されていた。中国の飛天の鏡なども興味深く、その先には法隆寺金堂天蓋の飛天も展示されており間近にに見ると迫力があった。「天上の光景ー浄土図から荘厳具ー」では神奈川県・宝樹寺の阿弥陀三尊の光背に飛天が描かれていたり、東博でおなじみの「康円」の文殊菩薩光背飛天が展示されていた。第三章飛天の展開では岩手県の「松川二十五菩薩」が展示スペース一面に展示され圧巻だったが、惜しむべくはすべてお顔がないことだった。第二展示室にはいよいよ平等院鳳凰堂阿弥陀如来光背飛天が展示されており、展覧会のパンフレットにも寺外で公開はこれが最初で最後と銘打っているとおり、素晴らしい飛天が展示ケースを通してだが間近にみれてよかった。繊細な手の動きや顔の表情がすばらしかった。このあと実際に平等院修復後、鳳凰堂内に懸けられる摸刻像の南20号との「結縁」(けちえん)をすませ、雲中供養菩薩のもとに向った。片足を上げて拍子をとる北23号もよかったし、楽器をもつ南1号の表情が見る角度によって次々と変わるのには驚いた。さすが定朝工房の作品だと感じた。待ち時間もあわせて3時間ほどかけて鑑賞して満足して会場をあとにした。
昨年のことになるが、秋に當麻寺(たいまでら)を訪れ、金堂の四天王に酔いしれたあと、11月23
日より御開帳のお堂がたしかあったことを思い出し、西南院に向った。西南院は奈良時代の堂宇が立ち並ぶ當麻寺にあって比較的新しい感じがした。御開帳は西南院の三観音で右から聖観音・十一面観音・千手観音だ。春、奈良博の當麻寺展で、聖観音と十一面観音にお目にかかったが、千手観音は今回が初めての拝観となった。お寺の係りの女性によると、本当に1000本手があるいわゆる「真数千手」ですとのこと。平安時代の作で、細かい千手の細工がみごとだった。中央の十一面観音も平安時代の作で、足の長い細身の体型だ。眉がつながりかかった、目尻の切れあがる厳しい表情であり、着衣の衣文にも小気味よい切れ味がある。聖観音はおだやかなやさしい顔つきで三人三様の雰囲気が楽しめる。拝観を終え、御朱印をいただく際、係りの女性に薦められて、庭を散策したところまさに紅葉まっさかりで紅葉が鮮やかに映える庭と西塔のコントラストが絶妙だった。係りの女性に感謝して當麻寺をあとにした。
昨日(平成26年元旦)に横浜そごう美術館の藪内佐斗司展で宗慶の不動明王に出会った。
藪内氏は奈良県のイメージキャラクターせんとくんの生みの親で東京芸大の教授で仏像の保存修復にも携わっている。この展覧会では藪内氏とその門下の学生が手がけた有名な仏像の製作技法を学ぶ摸刻像とともに修復した文化財の仏像も展示されていた。その仏像がこの不動明王だ。仏像クラブで平成23年10月に訪れた埼玉加須「保寧寺」(ほねいじ)の旧蔵の不動明王で、矜羯羅童子(こんがらどうじ)制吨迦童子(せいたかどうじ)の二童子が脇侍としており、願浄就院の運慶不動明王と同じ形式だ。保寧寺の阿弥陀三尊の製作は運慶の兄弟子「宗慶」が製作したことがわかっておりこの不動三尊も宗慶製作のものであろう。宗慶は慶派の創始者「康慶」の瑞林寺地蔵菩薩銘記に小仏師として名を連ねていたことからも、作風が康慶直伝といった感じが強い。以前、別冊太陽「運慶」でこの写真を見てからずっと会いたいと思っていた不動明王に偶然立ち寄ったそごう美術館で出会うとは今年の新春から縁起がよいと感じながら会場をあとにした。