東博本館の円空展会場の入り口に展示されているのが、この「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)坐像」だ。円空の自刻像ともいわれているが、よくみると両肩を覆う布をつけ禅定印を結んでいる。小首をかしげかわいらしく微笑んでいるのが愛らしい。高さは47センチで信者が痛いところや病んでいる所を撫でると治ると信じられているため黒光りしている。伊豆の南禅寺でも賓頭盧尊者を見たが汚れが人々から愛され親しまれている証だろうか。最初から引きこまれる印象的な仏像だ。会場にはフィギアも売っていたが、あまりかわいくないので買わずに会場をあとにした。
特別展「飛騨の円空」を鑑賞するにあたり、数冊の雑誌や本を読んだがその中で気になっていたのがこの「如意輪観音」だ。如意輪観音は通常6臂(ろっぴ)で手に如意宝珠と輪宝を捧げもつが、この如意輪観音は持物が省略され頬に手をぴったりとつけ静かにほほえんでいる。円空得意の簡略した表現だが、十二分に如意輪観音だということがわかる。有名な大阪観心寺の如意輪観音に似た雰囲気をかもし出している。「見仏記」でみうらじゅん氏は「円空仏とは過去の仏教美術を研究した上で生み出されたオリジナル仏だ」とのべているが、もしかしたら大阪観心寺の如意輪観音を円空も見てこの仏像を彫ったのではないか。仏教美術の研究の上に立って突き抜けるほど自由で先進的な造形に心動かされるため、会場では遠くから見ても近くで見ても美しいと感じた。迫力ある表現で解らなかったが、わりあい薄い木に彫られていた。いつまでも見飽きない仏像をながめながら会場を後にした。
特別展「飛騨の円空」を見に本日上野の東博まで出かけた。円空と私のかかわりはかなり古い。中学生ぐらいの時、新宿の小田急百貨店で「円空展」がやっており、初めて円空仏を見た。実は私が仏像好きになったのは円空さんの仏たちがきっかけだった。その後大人になり岐阜県の高山と白川郷を巡る旅に出たときも、円空仏に会いに千光寺にでかけており、今回展示の「両面宿儺坐像」(りょうめんすくなざぞう)にお会いしているのだ。そのころは円空仏を見に千光寺までわざわざ行く人が少なかったみたいで、タクシーの運ちゃんに「円空研究家」と間違われたぐらいだったのをよく覚えている。今回の円空展では「両面宿儺坐像」をはじめ千光寺とその周辺の円空仏が一同に会し、今までの展覧会とは規模も違う円空仏ファン必見の展覧会だ。本館での開催のため会場は手狭だが人があふれ帰っていた。音声ガイドを借りてまず入り口の「賓頭蘆尊者」(びんずるそんじゃ)が善男善女に撫でられ黒光りしながら静かな微笑みをたたえていた。中に入ると像高80センチの33観音に圧倒されたり、像高2メートルの金剛力士が睨みをきかせたと思うと、像高20センチ足らずの「宇賀神像」があったりとまさに円空ワールドが広がっていた。やはり「両面宿儺坐像」はすばらしかったが、みうらじゅん氏が円空について熱く語っているコラムが掲載された美術手帳の表紙に載っていた「如意輪観音」にグッときた。興奮さめやらぬまま特別展「飛騨の円空」の図録とクリアファイルを購入して会場を後にした。
日本美術全集を見てからどうしても気になっていたのが、この「童子形像」の仏像だ。像高30cmたらずの仏像が幼子のような顔をして、立派に肉髺(につけい)と螺髪(らはつ)を持ち子供が大人の背広を着て得意になっているようだ。宝物館で見たN153は照明の関係で少し大人っぽくみえたが、他にも幼い顔だちの仏像が多く見られ、見ててあきない。東大寺大仏展で見た聖武天皇の念持仏も幼い顔だちをしていたと記憶しており、白鳳から奈良にかけて興福寺の八部衆に代表される幼い顔だちの仏がはやっていたのではないだろうか。それには聖武天皇・光明皇后夫婦の趣向が大きく関係するのではないかと感じ、法隆寺宝物館を後にした。