先週の鎌倉国宝館の学芸員の列品説明の一番最初がこの証菩提寺の阿弥陀三尊だ。山本勉先生が「日本の美術」東国の鎌倉時代彫刻の中で運慶以前の仏像として紹介し、仏像クラブでも12月にお寺を訪問する予定だった仏像だ。学芸員によると源頼朝が石橋山の合戦のおり、主君の身代わりとなり討死した忠臣「佐奈田余市義忠」の菩提を弔うために建立させたと伝えられている。頼朝はしばしば三嶋大社に参詣したがその際に石橋山を通るたびに死んだ家来を思いおいおい泣いたと伝えられているという逸話が学芸員から語られた。冷徹な印象の頼朝の以外な一面が垣間見られる逸話で説明が解りやすかった。仏像はU案内人も思わず「大きい」と感嘆の声をあげるほどりっぱな仏像だ。像高112センチで脇侍もよく残っている。造像は1175年ごろだと考えられる。学芸員も康慶の師匠康助あたりではないかとのこと。今回は列品解説は仏像のことがより深く理解できてよかった。
本日(20日)仏像クラブで鎌倉国宝館に特別展「古都鎌倉と武家文化」を見に行った。この展覧会は来年に「武家の古都・鎌倉」で世界遺産登録候補地と名乗りをあげている鎌倉の登録推進を目的に開催された。館内の中央には12月に仏像クラブで訪問する予定だった、證菩提寺(しょうぼだいじ)の阿弥陀三尊があり、「武士の発願像」のコーナーには康慶の地蔵菩薩や常楽寺の阿弥陀三尊・覚園寺の戌神・などから、国宝館でおなじみの建長寺千手観音などが並び圧倒された。「宋風彫刻の諸相」のコーナーには浄光明寺の勢至菩薩から国宝館常設展示の初江王や韋駄天などがあり見ごたえ十分だ。鎌倉の高僧像や国宝の八幡宮の硯箱の展示のさきには、運慶の大威徳明王や運慶作ではないかと山本勉先生が書いていた仏法紹隆寺の不動明王があり飽きさせない構成になっている。11時になり鎌倉国宝館の若い学芸員による列品解説がはじまり約40分ほど展示品を見ながら説明を受けた。この展覧会は見所が多いので学芸員も説明しきれないのでいくつか解説されなかった仏像もあったが、全体的には話が興味深く解りやすかった。行かれるかたは毎週土曜日11時からの列品解説を是非聞かれることをお勧めします。
今回の東博の展示で一番楽しみにしていたのが、浄瑠璃寺の十二神将だ。山本勉先生が運慶作品ではないかと指摘した仏像だ。昨年はガラスケースの中での展示だったが、今回はスポットライトにあたっての露出展示だ。東博には十二神将のうち5躯が展示されており、前に「博物館ニュース」の表紙を飾った「戌神」や「巳神」が後ろに「辰神」「未神」「申神」が展示してあった。この像のみどころは、力強い動きを誇張することなく的確にとらえていることと甲や衣に繊細な彩色を施している点だ。華麗な彩色や金箔を細く切って表した載金文様はこの像の発願者が相当な財力を持っていたことが伺える。いままで戌神にしか注目していなっかたが辰神についても目をひかれた。あらためて運慶作品としてみると見ないのでは印象が違っていた。今回一番印象に残った展示だった。
今回の東博140周年館蔵仏像名品選で初めて出会ったのがこの日光菩薩坐像だ。奈良時代の木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)の仏像で、当初は京都亀岡の金輪寺の本尊薬師如来の脇侍でのちに京都高山寺に移ったとのこと。現在も本尊は高山寺に月光菩薩は東京芸大の所蔵になっている。切れ長の目をした豊満な顔立ち、弾力のある引き締まった肉体表現がすばらしい。髪の毛の筋をていねいに表し、体を覆う衣の柔らかな質感も自然で、木屎漆(こくそうるし)の技法がすばらしい。木屎漆とは漆に小麦粉を混ぜて練った麦漆に木の粉や植物繊維を混ぜたペースト状のもので、頭髪や衣の質感を表すのに効果的だ。この仏像はその技法を遺憾なく発揮した名品だが、わずかに手の一部が破損しているのがおしい。そうでなければ国宝級の仏像で天平時代を代表する名品である。いつか薬師三尊が揃って展示されれば是非見に行きたい仏像だ。
先週の土曜日に東博に「東京国立博物館140周年特集陳列館蔵仏像名品選」を見に行った。今回は東博館蔵の優れた名品13件だけで構成された展覧会だ。いままで、東博本館11室で何度もお目にかかった仏像や今回初めて見る仏像に、特に照明などの展示方法を工夫して今までよく見えなかった表情を出すことに努めたという。確かにスポットライトにあたった仏像はどれもすばらしく魅力的だ。入り口に展示されているのがこの菩薩立像だ。鎌倉時代の作で、上下の唇に彩色し薄い水晶板をあてる玉唇とでもいうべき技法が施されている。魅力的な顔の秘密はそんなところにあったとは驚きだ。善派の善円の作ではないかとのことだ。他にもすばらしい仏像が並び、大満足な展覧会であった。立ち去りがたいが東博を後にした。