8月19日に三河・尾張の仏像鑑賞旅行をした際、運慶仏のある瀧山寺の次に訪れたのが普門寺だ。このお寺にはいとうせいこう氏が「見仏記~ぶらり旅篇」で紹介した劇画調な四天王があるという。通常は春・秋の公開の時期のみ拝観できるとのことだが、「東海の古寺と仏像100選」によると予約すれば拝観可能との記載があり早速「普門寺」に連絡をして2時で約束した。駅に予約したタクシーがなかなかこなかったが、どうにか約束の時間に間に合った。御住職の案内で収蔵庫をあけてもらう。まず写真で見たあずき色の釈迦如来が中央に控えていた。その横が阿弥陀如来。阿弥陀の顔が独特で実に魅力的だ。脇には藤原期の四天王が二体ずつ左右に分かれていた。説明がなにもないので、「見仏記」のコピーを持参したのでそれを読みながらの拝観となった。みうらじゅん氏が「ナタ彫り!」と歓喜の声をあげた邪鬼を踏みつけ力強くたって収蔵庫狭しと荒ぶる。みうらじゅん氏によれば、平安期の様式を基調としているが鎌倉期の写実的劇画調が残る四天王像であるとのこと。じっくりと収蔵庫の仏像を見ながら、コピーに目をやると本堂にも不動明王と二天像があると書いていたので、早速御住職にお願いして本堂に移動した。不動と童子二体があった。怒り肩で右の腰を張り、左足を出して見得を切っている。童子二体から新しいものではとの疑問に御住職は平安時代の仏像と確認とれていると説明いただいた。その他に阿弥陀如来・大黒天・ヤングエンノなどがあり、ご案内をお願いしてよかった。出口の扉の裏にみうらじゅん氏の例のカエルの絵の色紙も貼っており、大満足な仏像拝観が出来た。御住職より御朱印をいただき、その日の宿に向かった。
尾張三河仏像旅行の最終日は名古屋市内の七寺に向かった。ここには、先の太平洋戦争の空襲から救い出された平安後期の観音菩薩と勢至菩薩が祀られており、一度ぜひお会いしたいと思っていた仏像だ。予約してお寺に向かうと、ご住職が出迎えていただき、じっくりお話しが聞けた。七寺は奈良時代からの古刹で本尊は平安後期の慶派の作である。また焼失前の写真が残っており、丈六の阿弥陀如来の姿がはっきりと見えた。ランプで照らしながら30分熱く語っていただきありがたかった。観音菩薩が特に素晴らしく、旧国宝というのも頷ける。終戦の月にふさわしい仏像巡りであった。
今日は碧南市の海徳寺に向かった。NHKの番組でいとうせいこう氏が紹介した阿弥陀如来だ。明治の廃仏毀釈の折、伊勢大神宮寺から渡海した。大浜大仏として親しまれた阿弥陀如来は平成14年の文化庁の調査で胎内銘文から平安後期の作と判明した。本堂の前ではちょうど、法要の真っ最中で、少し待ったが、係の女性から本堂にどうぞと言われ中に入って合掌した。金色の丈六阿弥陀が威厳を漂わせた視線をこちらに向けていた。定朝風な素晴らしい大きな仏像は国宝級だ。読経が流れる境内を一人静かにあとにした。
今日やっと瀧山寺の聖観音に会うことが出来た。二年前に金沢文庫で開催された運慶展で瀧山寺の帝釈天と衝撃的な出会いをして、憧れていた、あの聖観音と梵天だ。源頼朝の母方の従弟の僧の寺から来た客仏だ。聖観音像の頭部には頼朝の遺髪と歯が納められX線撮影でも確認がとれた仏像だ。瀧山寺に着くと収蔵庫の扉が開いており、上品なご婦人が迎えてくれた。中に入って真っ先に聖観音の前に行く。腰のひねりや指の動きのしなやかさが運慶的だ。体躯から離れて自由にうねる天衣(てんね)がすばらしい。梵天も素晴らしい。多面多臂像は運慶作品にはあまりないので、この梵天像は貴重だ。しばらく佇んでいたいが瀧山寺は不便な場所にあり、バスの本数が少ない。後ろ髪を引かれる想いで寺を後にした。
特別展示「運慶周辺と康円の仏像」を見た後、東博で必ず訪れる第11室の彫刻のコーナーに向かう。ここは東博の所蔵している仏像や、預託されている仏像、奈良や京都の寺から出展した仏像が季節ごとに展示替えする仏像ファンにはたまらないコーナーだ。今回も秋篠寺の十一面観音や浄瑠璃時の四天王が所狭しと並んでいた。私は携帯のカメラや一眼レフで撮影可能な仏像を撮るのに大忙しだった。東博の展示品の説明の横には「カメラ」のマークがあり、撮影禁止の仏像には「カメラ」に×が表示されているが、何もない展示品は撮影可能だ。このなかで私が一番気になったのは、彫刻のコーナーの入り口に展示されている菩薩坐像だ。上瞼(うわまぶた)がふくらみ、やや沈んだ表情、厚い胸、ところどころしのぎ立つ衣の襞など平安時代前期の特色を示す仏像だ。私にはなんだかはれぼったい目つきの仏がなんともいい表情だ。日本画家下村観山の旧蔵の仏像だ。朝な夕なにこの仏像を眺めていたい衝動にかられた。
今日この夏の猛暑の中、東博の運慶大日如来に会いに行った。毎年夏に特別展示される大日如来だが、今年は会場の中央の展示ケースの中にあり、360度姿が拝めるのがよかった。ぜひ見たかったのが、大日如来の髻(もとどり)の後ろ姿だ。きれいに結い上げ前方に菊をあしらった華麗な髪飾りにばかり目がいくが、後姿を見て思わずうなった。豊かなボリューム感のうちに、きつく結いあげた髪の毛の質感までが感じられる。毛筋彫りのよどみないノミさばきがみごとだ。他にも光得寺の大日如来が厨司の中に納められて展示されており、ライトの関係でキリット引き締まった仏像に見えた。みうらじゅん氏の言う「カッコよくて、グットとくる。それが運慶」というものを実感させる作品だ。今日の東博本館はこの14室の「特別展示 運慶周辺と康円の仏像」のほか彫刻のコーナーにも見るべき仏像があり大忙しに一日だった。帰りに地下の「ミュージアムショップ」で山本勉先生の「新出の大日如来像と運慶」の論文が掲載されている、「MUSEUM」を購入して国立博物館を後にした。
昨年の「空海と密教美術」展を観覧した後、U案内人の勧めで本館の特集陳列「運慶とその周辺の仏像」を仏像クラブの面々で見に行った。そのときは運慶の二つの大日如来について熱くかたりあったが、そには東博所蔵の「浄瑠璃時の十二神将」も展示されていたが、あまり注目しなかった。当時の「東博ニュース」には「その充実した造形は運慶作の可能性をあらためてかんがえるべきかもしれません」と書かれていたが、私はそこまで踏み込む理由がなぜなのか、長い間解らなかった。しかし先月購入したとんぼの本「運慶」(新潮社)にあの山本勉先生が加筆されている「新発見!運慶仏はまだあらわれる」のコーナーを読んでその意味が解った。山本先生によると、明治39年の毎日新聞に載った「運慶の十二神将」という記事に、京都の浄瑠璃時の十二神将のことが書かれているとのこと。しかも十二神将像の「腹内」に「大仏師運慶」の銘文があったという情報が研究者によって先生のところにもたらされた。またこの問題はこれだけにとどまらず、興福寺南円堂の四天王運慶説にも影響を与えるという。もしかしたら、現在31体が確認されている運慶仏に一挙に、16体もの運慶仏が加わる新発見になるかもとのこと。詳しい調査が待たれる。今年の特集陳列では展示されていないが、また東博で展示があったとき足を運んでみようと思う。