今回の「解脱上人貞慶展」には出展されていないが、貞慶がその製作に指導的な役割を演じたのが、興福寺北円堂の諸像だ。この展覧会をきっかけに貞慶のことを調べていくと、興福寺学僧として活躍しており、特に「唯識」の大家であったという。「唯識」を体系可しまとめたのはインド僧の無著(むじゃく)・世親だといわれているので、北円堂の弥勒如来の脇侍として無著・世親を置いた貞慶の発想もうなずける。平成20年に訪れた北円堂の無著・世親像はどこか不気味で怖い印象を受けた。みうらじゅん氏も「小学生のころからこわかった。生きているみたいで、それくらい、いないものが、さもいるように見える究極のリアリズムです」と言っているのもうなずける。運慶が貞慶の指導をもとに運慶の大胆な表現力を付け加えた北円堂の諸像は、解脱上人貞慶ゆかりの仏像と言っても過言ではないだろう。
解脱上人貞慶展で写真の印象と大きく違っていたのが、この現光寺十一面観音坐像だ。本像の目はあとから補修されていることから、すばらしい仏像なのに惜しまれる。静かで落ち着いた雰囲気の仏像で、衣も流れるような美しい衣文を表している。頭上の化仏も古く、保存状態が良好だ。この写真は写真家小川光三氏の作品で、写真家が撮るとこうもすばらしい仏像になるのは驚きだ。慶派仏師が古典を学びながら製作した仏像で、同じ近くにある観音寺十一面観音に通じるところがある。現在の展覧会場では、普段見えない背中が中央のケースで展示されているとのこと。ぜひ足をはこんでみてはいかがでしょうか。
先日行った解脱上人貞慶展で一番見たかった仏像が東大寺指図堂の釈迦如来だ。小川光三氏の今年のカレンダーの表紙を飾り、さぞかし大きな仏像と想像していたが、像高はわずか30センチも満たない小さな像だが、素地の材の美しさを生かした見事な仏像だ。「仏の瀬谷さん」の解説によると、「小さな像ながら細部まで作りこまれている」とのこと。すばらしい仏像だ。光背は失われているが、台座は保存状態がよく蓮弁や華盤の先につけた飾りがすばらしい。この仏像は解脱上人貞慶の没後、海住山寺で製作されたが、貞慶と親しい明恵(みょうえ)が供養を行ったことから、貞慶の影響下で製作された仏像とのこと。また瀬谷学芸員は、貞慶が快慶に命じて製作した笠置寺の「白檀釈迦如来」の摸刻(もこく)を善円が製作した可能性を考えるのも一案だと言っている。何度も仏像を眺めてから会場を後にした。
解脱上人貞慶展で私が一番気に行ったのが、東大寺中性院弥勒菩薩だ。この仏像は近世以前は興福寺にあったと伝えられていて、「仏の瀬谷さん」の解説によると有力な慶派仏師の作という。別冊太陽「運慶」でもこの仏像が取り上げられており、運慶・快慶らと一緒に東大寺南大門金剛力士を製作した「定覚」(じょうかく)という仏師の説が取り上げられている。快慶のように宋風様式を取り入れているが、快慶とは別の個性が見られる。瀬谷学芸員の解説を読むと「意思的な表情、張りのある肉身表現、衣縁を細かく波立たせる着衣形式から慶派仏師の製作と考えられる」とのこと。小さな展示品が多い「解脱上人貞慶展」のなかで像高102センチと大きく見ごたえがあった。館内の中央に展示されているため、横からも後姿も拝めるのがうれしい。斜め横からこの弥勒菩薩を見つめながら、いつまでも眺めていた。
昨日、仏像クラブで「解脱上人貞慶展」に行った。チケットを買い入り口に入ると県立金沢文庫の学芸員の説明が行われており、大勢の人が集まっていた。説明されているのは、テレビで「仏の瀬谷さん」と紹介された、瀬谷学芸員のようだ。解脱上人貞慶の説明や展示品の説明がユーモアたっぷりに紹介されており解りやすかった。笠置寺の本尊磨崖仏(まがいぶつ)を表した絵など、なかなか説明なしでは解りにくい展示品も丁寧に説明されていた。展示品はどれも小ぶりで小さい印象だ。普段写真家小川光三氏などの写真やカレンダーでは大きく見える仏像だが、「仏の瀬谷さん」によると写真でアップにしても細部までつくりこまれている素晴らしい作品ばかりだとのこと。私が気に入ったのは、東大寺の弥勒菩薩立像だ。瀬谷学芸員によると運慶・快慶に近い慶派仏師の作だという。帰りに金沢文庫のレストランでまぐろ三昧丼を食べながら、仏像談義に花が咲く仏像クラブの面々だった。