2012年2月25日土曜日

運慶の興福寺仏頭と出会う

平成21年、東博で「国宝阿修羅展」が開催されたとき「運慶の興福寺仏頭」と出会った。前の年にも奈良の興福寺を訪問したときは運慶作品とは知らず、隣の白鳳時代の有名な「仏頭」に目を奪われてさほどの記憶に残っていなかった。寺の古い記録により運慶作品と判った西金堂の釈迦如来仏頭だが、U案内人と二人で鑑賞したが「ほんとうに運慶作なのか」との疑問が残った。だかその後、展覧会図録を読むとかの有名な阿修羅や八部衆に囲まれた釈迦如来像として運慶が再興した際、天平仏を意識した造りとしたためとわかった。今まで見たのびやかな運慶作品と趣を異にするが、天平仏への運慶の憧れがわかる仏像だ。阿修羅と共に運慶の丈六の釈迦如来が「金鼓(こんく)」を囲んで並ぶ様は圧巻だったと思うと西金堂の消失が悔やまれる。天平と鎌倉に思いをはせて二人で会場を後にした。

2012年2月19日日曜日

護国寺の如意輪観音

本日は仏像クラブで護国寺の如意輪観音を拝観しにでかけた。真冬の凍てつくなか向かうと大きな仁王門があり、「本尊開帳」の立て札が立っており否が応でも期待がふくらむ。朝早かったもで御開帳の法要を終えた僧侶たちが本堂の階段を下りてくるのが見えた。大きな本堂中央の厨子の中に平安時代の如意輪観音が納められていた。観音は6本の手をもち、右足を曲げて左足に乗せ、右手を頬に当てる思惟の姿をしている。護国寺は江戸三十三観音霊場の第13番札所になっており、今日も巡礼の方がこられおり一緒に僧侶からの説明が聞けてラッキーだった。外陣からの拝観のため双眼鏡で遠くからお姿を覗いた。とても美しい観音様だ。周りのは三十三応現身といって、観音が変化した姿の江戸期も仏たちがずらりとならぶ。帰りに土佐料理の店でかつおのたたきをつまみながら、仏像について語り合う仏像クラブの面々であった。

2012年2月12日日曜日

東慶寺の聖観音

本日(11日)よく晴れたので北鎌倉東慶寺の仏像展に出かけた。境内の梅はまだこの寒さでつぼみだったが、とりあえず本堂に向かう。普段注意して見ていなかったが、本尊の釈迦如来像が安置されていた。整った目鼻立ちと張りの強いお顔が印象的だった。仏像展の開催されている松ヶ丘宝蔵に向かう。入口の節電で照明が落ちたくらい中に聖観音が展示してあった。重文で着衣は彩色のうえ、切金文と金泥(こんでい)を用い、土紋を貼り付けた優美な仕上がりとガイドブックには書いてあったが、暗くてよく判らなかった。ぜひ今度鎌倉国宝館で開かれる「鎌倉の至宝国宝・重要文化財展」に出展していただきたい仏像だ。東慶寺を出たあと前回ブログで書いた宝戒寺に向かう。こちらも重文で光背の迦陵頻伽(かりょうびんが)を中心に双眼鏡でじっくり拝観した。脇侍の梵天・帝釈天もすばらしくすべて同時期の南北朝時代の作品だ。小町通のコーヒー店で今日見た仏像を振り返りながら午後の静かな時間をすごした。

2012年2月4日土曜日

宝戒寺の地蔵菩薩と迦陵頻伽(かりょうびんが)

平成22年に鎌倉国宝館の帰りに、宝戒寺に行った。宝戒寺は鶴岡八幡宮すぐ近くのお寺で、白ハギの咲く寺として知られている。ご本尊は南北朝時代の地蔵菩薩で、向かって右に梵天、左に帝釈天を従えている。足下には十王像や奪衣婆(だつえば)といった冥府の尊神たちが控えている。本堂に誰でも気軽にあがれてじっくりと仏像を鑑賞できるのがうれしい限りだ。そのときは地蔵菩薩の穏やかな表情に癒されて、周りに目が行かなかったが後でガイドブックを調べてみると、地蔵菩薩の大ぶりな光背には迦陵頻伽や飛天が荘厳されており興味深い。迦陵頻伽とは上半身人で下半身鳥の仏教における想像上の生物で、同じ鎌倉では覚園寺の日光・月光菩薩に描かれているエンジェルだ。特に有名なのが切手にもなった中尊寺の迦陵頻伽だ。本像は光背にイタリアのレリーフのように迦陵頻伽が刻まれている。ここ宝戒寺は鎌倉幕府執権北条高時が自害した東勝寺の後に、足利尊氏・後醍醐天皇が北条一族の菩提を弔うために建立したと伝えられている。もののふの栄枯盛衰を見守ってきた地蔵菩薩のお姿に深く感銘を受けた。また機会が会ったら訪れようと思う。