2011年10月29日土曜日
2011年10月22日土曜日
みかえり阿弥陀
平成21年の紅葉真っ盛りの秋に京都を訪れた。夕飯を丹波鳥料理の居酒屋で済ませ、紅葉ライトアップが行われている永観堂禅林寺に向かった。「秋は紅葉の永観堂」という言葉があるくらい紅葉の名所になっているところだ。すでに拝観時間が終わっている南禅寺など真っ暗な道を歩きながら、夜でも煌々とライトで明るい永観堂を目指した。ライトアップの明かりに照らされた紅葉を鑑賞しながら、本堂に向かう。永観堂の本堂には有名な「みかえり阿弥陀」が祀られていた。永観が修行をして歩いているとき、前に阿弥陀様が現れた。永観が立ちすくんでしまったとき、阿弥陀様が「永観遅し」といわれたとか。本堂にはその時の来迎印を結び、左斜め後ろを振り返る阿弥陀様が祀られている。阿弥陀様のお顔を拝めないかわりに、わきから拝することが出来る。小ぶりな阿弥陀様だが平安時代後期の浄土信仰を今に伝えるほとけだ。深々と冷える京都の夜なので立ち去りがたい思いを残し永観堂をあとにし宿に向かった。
2011年10月14日金曜日
海龍王寺の十一面観音
2010年の春に佐保・佐紀路の三観音を訪ねるため奈良を訪れた。佐保・佐紀路の三観音とは不退寺の聖観音、海龍王寺の十一面観音、法華寺の十一面観音だ。いずれも静かな佇まいの古刹で奈良中心部の喧騒がうそのようだ。落ち着いた雰囲気の参道を抜けると本堂があり、厨子入りの十一面観音はそこに祀られていた。目の下がぷっくりとふくらんでおり、鎌倉時代の作ながら長いあいだ秘仏であったためよく金が残っている。左手に持っている宝瓶からは蓮が二本でており、衣の柄には金や墨で造った唐草や格子の文様を切金で表したこった細工だ。典型的な美人の観音様だ。キメ細かな素肌を思わせる、キラキラ輝くお顔に真っ赤な紅。なまめかしいウエストラインに色気を感じる。ご住職に御朱印をいただいたが、「妙智力」と記載されていた。解説の紙が添えられており、「観音様のすばらしい智慧の力は普く世間の苦しみを救いたまう」との意。今回は日帰りの奈良であったが、心が浄化され穏やかになっているのをひしひしと感じた。
2011年10月9日日曜日
高野山と紀州の仏像めぐり⑥(浄教寺の大日如来)
今回の夏の旅行を紀州に決めたのは例の見仏記を読んだからだ。お寺に連絡したら親切にも駅まで迎えにきてくださるとのこと。JRの藤波駅でお寺の奥様にお会いし、浄教寺に向かった。車中で見仏記の話題になり、いとうせいこう氏をせいこと言う女性と間違えた本人だった。境内に入るとりっぱな収蔵庫があり中の左手に鎌倉時代作の大日如来坐像がまつられていた。この仏像は快慶流とも言われているが、印はくまずに両手を膝の上に置いている形。しかし、大変残念なことにその手の先は崩れてしまっていた。大日如来は唇を少し突き出したように閉じ、腕は若々しく細いが腹はたっぷりしていた。見仏記では快慶的アニメ風の顔と言っていたが、私のは快慶と少し違うなと感じた。耳たぶがまっすぐ降りる耳の形状は運慶とその周辺の仏師の手によるとの山本勉先生の説を支持する。この仏像はかの白洲正子が好きな「明恵」の寺、旧最勝寺からの客仏とのこと。謎が多い仏像との出会いだった。
2011年10月2日日曜日
埼玉加須の慶派の仏像(保寧寺)
本日(10月1日)に埼玉加須の保寧寺に久しぶりに仏像クラブで行った。加須の稲穂がたれる田園地帯を抜けると保寧寺に到着した。ここには運慶の兄弟子にあたる宗慶の鎌倉時代の阿弥陀三尊像が残されている。寺の一角にある阿弥陀堂という名の収蔵庫に重要文化財の阿弥陀三尊が祀られていた。中は薄暗かったがガラスはなく直接仏像を拝めるよい環境となっている。阿弥陀如来が損傷もなく金色に輝いていた。「写真で見るよりいい」とU案内人も興奮気味だ。山本勉先生の「日本の美術」によるとやや無骨な作風が運慶の父康慶ゆずりだという。脇侍の観音と勢至菩薩もすばらし出来栄えだ。五月の桑原薬師堂の「実慶」の阿弥陀様と甲乙つけがたいすばらしい作品だ。今年は運慶とその周辺の仏師の作品を目にすることが多い仏像クラブの活動となった。山本勉先生によると宗慶は不動明王と二童子の作品もあり個人蔵で見られないのが残念だ。まだ見ぬ不動明王に思いをはせて、保寧寺を後にした仏像クラブの面々だった。