2011年8月26日金曜日

空海のみほとけたち⑦(醍醐寺の薬師如来)

空海と密教美術展でおなじみの醍醐寺薬師如来に出会った。この仏像を最初にみたのは2001年に東博で開催された「醍醐寺展」でのこと。ワイルドな雰囲気の仏像に心ひかれ思わず写真を買い、今でも私の部屋に飾ってある。一昨年の秋京都を訪れたときも再会し、今度また再会することができた。この仏像は創建当初は醍醐寺の上醍醐薬師堂の本尊としてまつられていたものだ。濃い茶色に染まった体、野武士のような面構え、頭部が非常に大きいのが印象的だ。肉付きがよく、迫力がある造形は10世紀初頭の最高水準に属する仏像だ。光背、化仏は当初のもので、本尊によく似た顔をしている6体と合わせて七仏薬師を表している。何度も出会う薬師様に浅からぬ、えにしを感じた。

2011年8月19日金曜日

高野山と紀州仏像めぐり③(道成寺の千手観音)

紀州仏像めぐりで最後に訪れたのは、安珍清姫で有名な道成寺だ。この寺にはもうひとつの物語も伝承していて、それはかみながひめの伝説で文武天皇の后、藤原宮子のこと。正に梅原猛氏のあまと天皇の世界だ。暑い境内を抜け冷房がきいた大宝殿に向かった。大宝殿の奥に入り込んだ私は、その暗く広い部屋にたどり着いて、思わず声にならない声を上げた。国宝の千手観音を初めたくさんの仏像がところ狭しと展示してあった。千手観音は平安時代の作で、脇侍に日光・月光を配した珍しい三尊形式だ。千手観音は八頭身で、顔は他のどこでも見たことない男性的なエネルギーと静けさに満ちていた。特に斜め横顔が良い。ゆっくりといつまでも眺めたいが、安珍清姫の絵解きが始まるので、部屋をあとにした。絵解きを聞き終わったあと見仏記でも紹介された江戸期の五劫思惟阿弥陀如来を探す。聞けば念仏堂に安置されているとのこと。気の遠くなるような年月思惟を続けたため、髪がアフロ化した阿弥陀。五劫院・東大寺に続きこれで3体目という珍しい仏像が道成寺にあった。今回の紀州仏像めぐりは地方仏の魅力を発見する旅だった。人知れず、観光寺院でないところに隠れた名仏があったり、宿坊に泊まると拝める仏像に出会うなど、ますます仏像の魅力にはまる旅だった。

2011年8月18日木曜日

高野山と紀州仏像めぐり②(根来寺の大日如来)

今日は、高野山金剛三昧院の運慶作の愛染明王を拝んでから、根来寺に向かった。根来寺はとんでもなく大きく、往年の威容を想像させる国宝の多宝塔や大伝法堂など立派な堂宇が立ち並ぶ。根来衆は雑賀孫市率いる雑賀衆と共に鉄砲を使いこなし、織田信長や秀吉に脅威を感じさせた僧兵集団だが、根来寺の大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂座像はその兵火から逃れて今に伝わる、室町時代の仏像だ。金色に光輝く仏像は巨大な蓮弁の上に座っているので、あたかも蓮ごと宙に浮いているかのようである。体も腑太く、顔も大きく、とにかく力強い。背後の光背は丸でなく、金の延べ棒に似た光の線がにょきにょき飛び出す形で、なんだか宇宙からのメッセンジャーが今も浮いたままそこに存在している気がする。根来衆の心意気が伝わって、迫力に圧倒された。

2011年8月17日水曜日

高野山と紀州仏像めぐり①(快慶の広目天)

今日から二泊3日で高野山と紀州の仏像をめぐっいる。まず最初に訪れたのは、高野山だ。高野山霊宝館には運慶の八大童子や快慶の四天王や孔雀明王等を所蔵しているが、今回は八大童子のうち恵喜童子だけで、快慶も孔雀明王は展示されていない。しかし快慶の四天王はすべて展示されていた。中でも広目天は顔の筋肉の動きや安定した立ち姿など写実的な表現が四体の中でも最も優れている。快慶自身の作品だと確信した。残りの三体は弟子筋の製作のためやや手が落ちる。運慶工房の八大童子に比べ弟子の未熟さがわかる。この四天王は東大寺大仏殿の消失した像を今に伝えるものだ。明日は金剛三昧院の愛染明王をみてから、根来寺や紀三井寺をめぐる予定だ。

2011年8月13日土曜日

空海のみほとけたち⑥(東寺の持国天)

東寺講堂に入ると真っ先に睨みつけるのがこの「持国天」だ。ド迫力で仏敵を押さえ込む武将の姿をし、東の方角を守る。日本でもっとも猛々しい表情を持ち、足元に邪鬼を踏みつけている。邪鬼の筋肉やこぶの描写まで写実的。頭から足元の邪鬼までをすべて一本の木で作られている。持国とは「国を支える者」という意味。もとの肌色は青。左手に片刃の剣、右手に三鈷戟を持つ。とくに四天王のなかでも、彫刻的表現が優れている。われわれ仏像オタクとしては二匹の邪鬼の踏まれっぷりにも注目だ。

2011年8月5日金曜日

空海のみほとけたち⑤(神護寺の五大虚空蔵菩薩)

今回の「空海と密教美術展」でぜひ会いたかった仏像が神護寺の五大虚空蔵菩薩だ。あの「TV新見仏記」でも紹介され、みうらじゅん氏が「ブラックマンとレッドマン」と呼んでいた、「蓮華虚空蔵菩薩」と「業用虚空蔵菩薩」が出展される。京都愛宕山中腹にある神護寺の五大虚空蔵菩薩は平安初期の作で、密教金剛界の如来がそれぞれが変化したもの。虚空蔵菩薩とは、非常に大きな功徳を持ち、人々に利益を与える菩薩である。左手に仏敵を追い払う三鈷鉱を持ち右手にそれぞれ法具を持つ。空海は習得した虚空蔵菩薩求聞持法は、真言を百万回となえる修法で、暗記することをそらんじるというのはここからきている。虚空蔵菩薩は五色に塗りわけらえている。蓮華虚空蔵菩薩は赤く塗られていた。阿弥陀如来が変化したもので法力は与願。願い事をかなえる。右手には蓮華を持つ。後でみた立体曼荼羅の仏は躍動感あふれる仏像だが、この五大虚空蔵菩薩はあくまでもおだやかで静的である。大阪南河内の観心寺の如意輪観音に似ているところがあると思っていたらどうやら同じ仏師によるものらしい。今度は五大虚空蔵がすべて揃っているところを見たいと感じた。