今年のGWは吉野に向かった。ロープウェイの山上駅から坂道を金峯山寺に向かう参道は人影もまばらだったが、世界遺産登録20周年の金峯山寺に着くと大勢の人でにぎわっていた。修学旅行生たちはバスで桜本坊近くの竹林院前からあがってきたためだった。入口で蔵王堂への靴袋付きの拝観料を払い広い畳敷きの外陣に通されたわれわれ善男善女は特別拝観とはいえ内陣には入れてもらえないようだ。蔵王権現は中尊が730cm右尊610cm左尊が615cm天正20年に完成した蔵王堂と同時期の造立。3体とも檜の寄木造で、右手で三鈷杵を振り上げ、右足を蹴り上げた姿。左尊と右尊の左手は指を2本たてた刀印を結んで腰にあてる。作者は山本半蔵門ミュージアム館長によると奈良大仏再興にかかわった俗人仏師の棟梁源次の子が宗印で東京増上寺三解脱門釈迦三尊が代表作として挙げられる。鎌倉時代初期の快慶作品あたりに学んだ端正なまとまりがあり、奈良の地の長い造像伝統が突然花開いた観があると館長大絶賛だ。大きさだけに圧倒されたがまとまりなど抑えており仏師の腕を感じ内陣裏の仏像拝観に向かった。
令和六年新指定国宝重文展鑑賞後、U案内人たちと26日までの開催している特集「行道面 ほとけを演じるための仮面」を鑑賞した。行道面とは寺社で行われる法要(通称お練り)で使用された 面で仏教の守護神八部衆や二十八部衆の仮面をつけ練り歩く法要だ。當麻寺のお練りは有名だがここに展示されている快慶作浄土寺菩薩面も浄土寺で行われているお練りで以前使用されていたもの。浄土寺には快慶作阿弥陀如来(裸形)が残されており、この菩薩面を被った僧たちが阿弥陀如来に着物を着せ台車で運び来迎会という行事を明治になるまで執り行われていたようだ。展示ケースをみると様々な表情の菩薩面があり興味深い。左側の二面は笑顔で頬がふっくらとしており、「その24」は歯さえ見せている。「その24」で注目すべき点は眉の部分がくりぬかれていることだ。演者の僧たちは目の穴で視界を確保するが、眉が彫り込んであれば息もしやすく実用的な工夫だ。右側の二面は頬がすっきりした死者を迎えるおごそかな雰囲気の表情だ。快慶のもと複数の仏師が制作したとみられる。どれが快慶自ら製作したかわかっていないが、頬がすっきりした表情が快慶らしさを感じ、頬がふっくらとして落ち着いた雰囲気が運慶や康慶にちかい雰囲気ともいえるかもしれない。近づいてじっくり法会で使われている様子を想像して鑑賞した。他の和歌山の神社の持国天や毘沙門天・夜叉天から五部浄まで様々な行道面が鑑賞でき大満足な一行は東博をあとにした。
4月29日東博平成館の特別展鑑賞後、U案内人たちと本館11室に移動し「令和六年新指定国宝・重文展」をみにいった。今回の指定では京都大報恩寺六観音(国宝)や伊豆河津南禅寺の仏像群(重文)の展示もあり、なじみの仏像の晴れ姿見に行く鑑賞会となった。11室の入口にはいつものガラスケースにメインの仏像展示があるのだが、出展されていたのは福井八坂神社牛頭天王だ。TV見仏記福井越前編で八坂神社の十一面女神像は紹介されたが本殿の秘仏牛頭天王は御神体として厳重に秘されて祀られていて1963年の仏像調査報告があるだけで研究者でも拝するのが難しい仏像とのこと。そのため保存状態がよく当初の火焔光背の彩色もよく残る平安時代の神仏混交仏だ。新指定国宝重文展ではここだけしか二度と鑑賞できない仏像が出展されるので仏像ファン注目の特別展だ。牛頭天王は疫病を防ぐ神として、祇園社(現京都八坂神社)を中心に信仰集めた。本像は三面十二臂で本面頭上に牛頭を戴き、武装して虎の上に座す。牛頭天王は同時代の神像彫刻のなかでも優れた出来栄えを示し、当初の光背、台座が残るなど保存状態も良好とのこと。近頃本屋で購入した「かまくら春秋」という小冊子には山本勉半蔵門ミュージアム館長のエッセイのなかに鎌倉寿福寺籠釈迦の写真が掲載されお寺や神社には秘されてなかなかお目にかかれない仏像があることを知った。このような機会を逃さないよう注意していきたいと思った。
今日(5月2日)から奈良に来ている。早朝に新幹線と近鉄特急を乗り継ぎ近鉄吉野駅に降り立った。あたりはまさに新緑が映えるうっそうとした森で南朝の歴史の舞台だ。早速、金峯山寺の蔵王堂に向かう。江戸時代に再興され金剛蔵王大権現を初めて拝観した。像高7メートルで憤怒の表情で参拝者を睨み付けてくる。蔵王堂では以前三井記念美術館でみた寺宝が祀られいたので、それは次回以降に紹介したい。次に行く予定だった大日寺のご住職の都合で15時以降になったので、桜本坊を拝観した。最後に大日寺の五智如来を拝観し御朱印をいただきロープウェイで下山し予定通りの特急で奈良に向かった。早足の参拝となったが修験道の世界にどっぷりとはまった半日旅行だった。あとからわかったのだが東南院にも平安時代の大日如来があり一度は拝観したいと思った。明日は憧れていた興福院の阿弥陀三尊や佐保路の仏像を巡る予定だ。
吉野奈良仏像探訪の2日目、初めて拝観する興福院へ向かった。興福院は創建当初尼辻にあり聖武天皇の御学問所を天平勝宝年間に和気清麻呂が賜り弘文院という一族のための学校とした跡で本尊は丈六の金銅薬師如来と伝えられている。三門を入ると季節の花がよくて入れされた庭に咲き乱れ、苔も手入れ中だが青さが眩しく手のよく入ったいかにも尼寺らしい庭が迎えてくれた。拝観入口で本堂拝観と茶室拝観、抹茶の振る舞いで三千円取られたが、襖絵も素晴らしく、抹茶もお手前も古都らしい饗応だった。仏像は天平時代の趣を残した木心乾漆造。後補はあるが、説法印を結んだ中尊と、上体を中尊の方に傾けてそれぞれ外側の脚を踏み下げた半かふざの脇じの姿は、天平末期造形の一つの典型といえるだろう。素晴らしお寺に出逢えたことに感謝し、静かにお寺を後にした。