2023年12月31日日曜日

特別展「聖地南山城」⑥(大智寺の文殊菩薩)

 

大智寺の文殊菩薩に出会ったのは木津川市の公開事業だったが、その後令和2年に本堂修理の際、奈良博に一時預けられたおり、奈良博山口学芸員によるお得意のCTスキャン調査が行われぎっしり文書の発見された仏像だ。鎌倉時代の仏像で、行基製作の伝説をもつ。鎌倉時代の文殊菩薩といえば快慶の安部文殊院が思い出されるが、山口氏によると、その快慶仏に近くやや角ばった面相や、上半身につける衣(外套祇のことか?)の形式、衣線を波立たせる表現まで共通する。この展覧会は表向きは 浄瑠璃寺本像修理完成記念だがこの奈良博の文殊菩薩は展覧会開催のきっかけになった仏像だと思う。


2023年12月16日土曜日

大阪奈良仏像の旅④(長岳寺の観音菩薩半跏像)


 JR奈良近くのホテルに泊まり翌日山野辺・長岳寺に向かった。一度住職の地獄絵絵解きを聞きに訪れたが、今回は来年の奈良仏像カレンダーの表紙が長岳寺だったので、思い立っての訪問となった。長岳寺は意外と駅から遠く、門を入って本堂を探していると、ボランティアの男性が声をかけてくれた。誘導されるまま本堂に入った。本堂の中央には阿弥陀三尊、右に観世音、左に勢至。どちらも半跏の形で蓮華座に坐っている。脇侍として半跏像というのは平安時代には珍しく本像の作者が奈良の古像を学習した結果とみられる。今回は住職の地獄絵絵解きに参加せず、延命殿の普賢菩薩をみて奈良に戻った。

2023年12月2日土曜日

大阪奈良仏像の旅③(廣智寺不空羂索観音)


 金剛寺から難波に戻り遅めの昼食を済ませて、高槻の廣智寺に向かった。ネットの写真でその魅力にとりつかれ大阪では是非会いたい仏像のひとつだった。寺伝によると聖徳太子草創のお寺で、江戸時代に太子信仰が篤い高槻城主が再興したとのこと。以前お寺では6臂の十一面観音と祀られていたが、あまりにも痛みが激しいので美術院に修理を依頼、八臂の不空羂索観音と判明した。鑑定にあったたのは、古佛でお馴染みの井上正氏で「衣の衣文などから、奈良時代にさかのぼるのではないか。近くにある霊松寺は、奈良時代に活躍した行基開創の伝承を持っており、行基にかかわる像とも考えられる。」と記者に話したようだがまさに井上先生らしい鑑定内容だと感じた。行基かどうかはわからないが、榧の一木造りで重量感たっぷりの仏像だ。ご朱印をいただきお寺をあとにし奈良に向かった。


2023年12月1日金曜日

大阪奈良仏像の旅②(帯解寺の地蔵菩薩)


長岳寺から帰って奈良駅近くの「やまと庵」で昼食をとってから奈良駅からJRで帯解寺下車駅ズバリ帯解向かった。車窓から見える帯解寺は駅降りてすぐわかったが、本堂に入って清和閣の渡り廊下から特別開帳の会場に入ったが、入口付近のボランティアの女性から清和閣の受付で拝観料を払ってから来るように注意された。目当ての三面大黒天は大したことなかったが本堂の地蔵菩薩が素晴らしかった。ここ帯解寺は安産祈願のお寺で入口に腹帯を着た下半身のマネキンがあり、七五三の時期で女の子が地蔵菩薩の前で安産祈願をしている貴重な光景に出くわした。中央奥は御堂と直結した収蔵庫になっており、そこに重量感のある地蔵菩薩が安置されていた。岩座の上で半跏の形をとり、左足をおろしている。頬の張ったふくよかな顔、狭めの肩幅、そして何より衣の下で裳の紐を結ぶ。鎌倉時代の作だ。脇侍は右に千手観音左に十一面。どちらも江戸時代の作だ。案内の僧侶もいたのでじっくり鑑賞できなかったが見仏記によると「弥勒を思わせる優美な半跏を行う足の甲は、滑らかにふくらんで観音のそれのようであった。おろした左足の親指もツンと上がって美しい。」とのこと。入口で御朱印をいただき、次の地蔵の寺福智院に向かった。