「最澄と天台宗のすべて展」は昨年の10月から今年の5月まで東京・九州・京都で開催されたが、私は東京・京都に参加したため紹介する仏像が多い。こちらの会津、法用寺の金剛力士は会津に行ったとき見そびれた仏像のひとつだ。「最澄と天台宗のすべて展」東京会場の東博第二展示室には像高2メートル以上の巨像が多く、金剛陸士の220センチぐらいの巨像だ。法用寺は奈良時代創建の古刹で天台宗ゆかりの地に立つ。ダイナミックな怒りの表現を伴う金剛力士像の中では威嚇する身振りや顔の表情は控えめで、平安時代後期の作風をよく示している。東北地方で仏像の用材でよく用いられるケヤキの一材から頭体幹部が一木造りで作られている。現在、東博開催中の特別展「東京国立博物館のすべて」に出展されている東博の金剛力士像は木の年代測定によって平安時代後期と作とみられている。地域性と同じ一木造の木像から平安時代後期と推察されるとのこと。会津に出会えなかった仏像に会えた喜びをかみしめ会場をあとにした。
特別展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」でも金沢文庫運慶展のときと同じく曹源寺十二神将が展示されていた。運慶は浄楽寺の仏像を造ったあと東大寺造仏までの7年間の足跡が不明であることで知られているが、仏の瀬谷さんの考察では永福寺の薬師如来と十二神将を鎌倉殿の命で造っていたという。曹源寺十二神将はそのコピーだという。当時は彼ひとりの独走の説といわれていたが、東博ミュージアムに奥建夫氏(当時文化庁)の説が出て俄然自信を深めたようだ。十二神将のうち巳神だけが頭ひとつ大きく造られており、出来栄えも突出している。誰か巳年生まれの貴人の守護神的意味があるだろうと思われていたが、奥氏は中世には生まれた年より生まれた時刻の干支が重視されていたこと、その貴人が源実朝に他ならないと指摘した。鎌倉殿源実朝の十二神将だという。調子にのった瀬谷さんは永福寺の出土した鬼瓦から永福寺総合プロデュースは運慶だと断言する始末だ。真偽は別としてもそう考えると楽しい展覧会だった。