最澄と天台宗のすべて展は東京・九州・京都と巡回展示するが、昨年の秋東京に来なかった仏像の一つが愛媛等妙寺の菩薩遊戯座像だ。京博平成館3Fから2Fに降りると菩薩遊戯座像に出会えた。展覧会チラシには60年に一度の秘仏と書かれており一生に一度のチャンスだった。像高90センチ足らずのカヤの木造玉眼の仏像だ。本像は寺で如意輪観音として信仰されており、立てた左膝に左手を置き、右脚を踏む下げて右手をついて岩上にくつろぐ姿がよい。このような座り方を遊戯座といい、観音の遊戯座像は中国では宋から元時代にかけて流行し、日本では鎌倉時代の鎌倉禅宗寺院を中心に木彫作品が造られたが、左足を立て膝とするのは本像が初めてとのこと。確かに東慶寺の水月観音もここまでくつろいだ座り方はしていない。端正な顔立ち、自然な身のこなし、写実的な着衣の表現など優れており、肥後定慶の作風に近いとのこと。魅力的な仏像に出会えて京都まで思い切って来てよかった。もうひとつ見たい仏像が待つ1Fへ向かった。
大安寺のすべて展は「ニコニコ美術館」の放送が5月8日のため事前情報なしで拝観した。それをサポートしたのが、以前も書いた鑑賞ガイドだった。十一面観音は頭部・左腕・右腕が後補だが、奈良時代木彫像の質の高さを伺い知ることができる貴重な遺例だ。本体から彫りだされた胸飾りがすばらしくガイドには「素敵なデザインとってもリアル!」と書かれており、台座の彫刻は「蓮の花びらだ!」と解説されていた。またN籐研究員によると裙の折り返しの上にベルト状の帯を付け、そこからはみ出した裙の衣の縁を波立たされるのは中国人工人が製作した唐招提寺の木彫群に影響を得ているが、唐招提寺の堂々した体躯とは異なり、肩を張らずに力の抜けた感覚があり、全体に誇張の少ないゆるやかな肉どりで構成され、均整のとれたプロポーションを有する。本像の造形には伝統の保守性と新様式の受容が同時に認められると図録の解説にある。確かに日本人に受け入れやすい十一面観音だった。
祇園で大海老天丼をいただいて、大原野に向かった。宝菩提院願徳寺を参拝してから初めて行く正法寺に向かった。大原野のいい仏を探していたところ近くの正法寺に三面千手観音があるとネットで紹介されていたので向かった。確かに地図では近くだが高低差まで記載していなかったので慌てた。花の寺勝持寺の参道ではあるが高低差がある急坂を下ると店がある民家の近くに出てホットした。正法寺は鑑真の高弟が開祖の由緒あるお寺で本尊の三面千手は小浜の妙法寺でしか見たことない珍しい千手観音だ。お寺の案内では鎌倉時代初期の製作で像高181センチの寄木造りの仏像だ。ネット情報によると元は丹波の九品寺の本尊だったとのこと。張りのある顔、堂々とした体躯、左右のバランスが絶妙な手の配置がすばらしい。運慶のお株をとる高い髻や条帛・天衣・裳の表現も素晴らしく、近くの法菩提院の菩薩半跏像に影響されたのだろうか。京都に何度も通っていながらこの仏像を見落としていたと満足して素晴らしい庭園を時間の許す限り眺めていた。
今日(5月1日)、京都国立博物館で開催の最澄と天台宗のすべて展を見に行った。京都国立博物館は三階建てで三階にエレベーターで上がり下に降りてくる展示となっている。ニコニコ美術館で3時間半放送を事前に見て予習してきたが、二階にも、本展の目玉である愛媛等妙寺の菩薩遊戯座像が展示してあるのがわかり慌てた。仏像の展示が少ないとは言え法界寺薬師如来のすげ替えらた胎内仏の3Dプリンターの再現展示や、横川の聖観音をガラスケースで間近に見えたなど時間オーバーして午後のバスに乗り遅れたが、結果よかったので、満足して京都国立博物館をあとにして、祇園にあるお寺に向かった
京都から奈良に移動して午前中のお寺巡りのあと奈良国立博物館で大安寺すべて展を見に行った。わが国初の天皇発願寺院の寺を原点とし、平城京に広大な寺地と伽藍を構えた大安寺の歴史をたどる展示だった。会場でわ「大安寺のひみつ」と題した鑑賞ガイドが配布されていて展示品の見所が分かりやすくまとめてあった。大安寺は1400年前の飛鳥時代に百済大寺として建てられ引っ越しと改名を繰り返し、最終的に平城京で大安寺となった。「第1章大安寺のはじまり」では飛鳥の大官大寺跡出土の隅木先金具が展示されており、ガイドに隅木の場所が図解されたり当時は金ビカだったことが、解説されていた。「第二章華やかなる大寺」では大きく力を持った大安寺の仏像や出土品の陶枕が展示され、作品保護のため照明を暗くした館内のため気がつかなかった、十一面観音の台座の蓮の花びらの彫刻などが解説してあった。あとはそれぞれの仏像の際のべるがドップリと大安寺の歴史を堪能できよかった。図録とクリアファイルを購入し、天平庵でお土産を購入し、奈良を跡にした。