2020年11月28日土曜日

特別展「相模川流域のみほとけ」④(平塚・宝積院の薬師如来)

 

特別展「相模川流域のみほとけ」も明日で会期終了となるが、今回ご紹介するのは平塚・宝積院の薬師如来像だ。宝積院のご住職がニュースでいっていたが、こんな感染症蔓延の時代だから宝積院の薬師如来の写真を使ってほしいとのことで、博物館側もポスターや図録の表紙に使っている。第二章鎌倉時代の仏像のコーナーに150センチ余りの薬師如来像が展示されていた。図録によると平塚の鎮守梵天社の本地仏で内衣・衲衣・裙をつけ、両手を曲げて左手に薬壺を腕前にかかげ、右手は五指をのばして左手に添える。直立して蓮華座に立つ。寄木造りで頭部と体部ともに四材を田の字型に剥ぎ、内刳りを施し玉眼を嵌入する。表面に漆を施し金箔をはる。一般的な薬師如来は左手に薬壺をもち、右手で施無畏印とするが、本像は左手に薬壺を持ち、左手に添える形は2011年に東博開催「空海と密教美術展」で見た大阪獅子窟寺の薬師如来や滋賀西教寺薬師如来にあり、切れ長の眼は鎌倉浄光明寺の観音・勢至菩薩に通ずるところがある。これらは善派系統の仏師により造られたことが指摘されていることから、本像もその一群に加えられるとの神野学芸員の解説だった。会場では分からなかったが鎌倉や関西で見た仏像と平塚の仏像が一脈通ずることは「目に鱗」だった。明日まで開催中なのでまだの方はぜひ見てほしい。

2020年11月21日土曜日

泉涌寺の楊貴妃観音

 

戒光寺の釈迦如来に感動したあと本日(10月31日)までの公開の仏像を見に泉涌寺に向かう。泉涌寺は2009年に訪れたことがあるが、大門を過ぎてから確かここには楊貴妃観音という中国招来の仏像が祀られていることを思い出し楊貴妃観音堂に向かう。2009年7月奈良博で「特別展聖地寧波(ニンポー)」が開催されそこにこの泉涌寺楊貴妃観音が出展されており間近に拝観する機会をえたが日本の仏像にない不思議な印象だった。雑誌の解説によると泉涌寺の開山僧「俊芿(しゅうんじょう)」の弟子が鎌倉時代に令和2年度京都非公開文化財特別公開で公開されている舎利殿の韋駄天像と月蓋(がつがい)長者とともに南宋から招来した仏像だという。日本人離れした容貌から楊貴妃の冥福を祈って造られたという伝承が生まれ、江戸時代から「楊貴妃観音」と呼ばれた聖観音だ。頭には宝相唐草透かし彫りの宝冠を被り、しなやかな手に宝相華を持ち、耳たぶに花形のイヤリングがあり彩色もまだまだ鮮やかで、その名に恥じないものがある。見仏記によると口もとの曲線は慈悲を説かれる口の動きでおひげではないとのこと。その後舎利殿に向かい韋駄天と月蓋上人像を拝観したが小像であり指して印象に残らなかった。泉涌寺の塔頭の悲田院で快慶仏が公開されているので早々にそちらに向かった

2020年11月14日土曜日

特別展「聖衆来迎寺と盛安寺」②(盛安寺十一面観音)

 


11月1日に訪れた特別展「聖衆来迎寺と盛安寺」に出展された多くの仏像の中で最大の見どころは盛安寺の十一面観音であろう。白洲正子のエッセイで初めて紹介されたが、「先年、近江を廻っていた時、穴太の盛安寺という寺で、美しい十一面観音にお目にかかった」と書かれており、2011年愛媛県美術館開催の生誕百年特別展白洲正子「神と仏、自然への祈り」には出展されたが、私が行った世田谷美術館では出展されなかったので2014年にお寺で窓越しに参拝した。今回の特別展では露出展示で間近に拝観することができその美しさに感動した。四臂の珍しい観音像で上半身に条帛を左斜めにかけ、両肩から天衣をかけその両端は両脇を垂下して腕前で二重にU字に垂れ、合掌する両脇から体側に垂下し、両腕に臂釧を刻んでいる。複雑な着衣でありながら美しくまとめられている平安時代の優作とあらためて思った。白洲正子によると「土地の言い伝えでは崇福寺(天智天皇創建)に祀られていた」古佛と書かれていたが、最近の研究だろうか比叡山延暦寺に近い伊香立の天台寺院にあったという記録があるという。しかし白洲正子のエッセイにあるように崇福寺の唯一の遺品のほうがロマンがあると思う。大津京のあった大津市でそんなことを考え次の展示に向かった。

2020年11月7日土曜日

清水寺の二十八部衆

 


31日の夕方12年ぶりに清水寺に参拝した。前回は夜間桜のライトアップで大勢の善男善女が参拝し、U案内人の手招きで十一面観音お前立を見たが、その両脇におわす二十八部衆を参拝したのを覚えていなかった。感染症流行で人が少なめだったが、世界中に知られる京都の観光地だけあってそれなりに混んでいた。仁王門で写真を撮りながら舞台で有名な本堂に向かう。8月の千日詣りには内々陣の特別拝観があるが、今回は紅葉し始めの木々が映える夕方ねらいでいったため内陣からライトに照らされた十一面観音お前立を拝観。両脇を見ると薄暗い中二十八部衆が居並んでいた。見仏記のみうらじゅん氏のコメントには「薄暗いお堂の中で仏の世界観はまるでパノラマのように・・・清水寺恐るべし」とのこと。私も同感した。メモリ基盤のようにぎっしり並び、濃密な意味を持った仏像が肩を寄せ合っている。その濃さそのものが密教ではないか。売店で清水寺の写真集を購入し御朱印をいただこうと思ったが若い女性ばかりの長蛇の列だったのであきらめた。奥ノ院で改装された本堂の大屋根の写真を撮り、早々下山し、今夜の宿に急いだ。

2020年11月2日月曜日

特別展「聖衆来迎寺と盛安寺」①


京都の宿を8時頃出てまず向かったのが大津歴史博物館だ。現在開催中の『特別展聖衆来迎寺と盛安寺』を鑑賞するためだ。盛安寺にはタクシーで南近江の仏像を巡りしていた頃、観音堂の外から鑑賞したことがあったが、聖衆来迎寺は寺の行事があり拝観を断られたが、今回も露出展示もあり二つのお寺の仏像をじっくりと見れるまたとない機会となった。大津歴史博物館開館30年記念の展覧会とのことで大河ドラマ明智光秀にあやかって博物館側の力の入れようがわかる。最初の展示が盛安寺で間近で露出展示でみる観音堂の十一面観音が素晴らしかった。聖衆来迎寺では大津歴史博物館に預託されている日光月光菩薩がよかった。見所満載でじっくり見て居たかった紫式部の寺や嵐山が待っていたので早々に駅に戻った。

戒光寺の釈迦如来


今年もいつもの通り京都に来ている。今年の非公開文化財特別公開は例年と違って9月から12月までになっており、この戒光寺も明日(11月1日)で公開が終わる予定だ。今年は元気よい学生の解説はなく協会の関係者による解説だった。協会によると戒光寺の釈迦如来は高さ5メートルあまりの鎌倉時代の仏像で運慶・湛慶親子の合作とのこと。截金(きりかね)を多用した湛慶らしい作品となっている。公開時には仏像の近くで拝観できる。朝日新聞の全国版にその戒光寺釈迦如来の写真が掲載され、新聞の切り抜きを握りしめて秋田からお寺を訪問した熱心な仏像ファンをみかけた。今回、仏像の足元で誰でも拝観できるようになっており、10メートルの光背のため屋根が盛り上がったいる様も見ることができ協会によると今回だからこそ体験できたことだとのこと。京都初日にして素晴らしい仏像にあえてよかった。明日は大津歴史博物館の展覧会を見て嵐山に向かう予定だ