2020年11月28日土曜日
2020年11月21日土曜日
泉涌寺の楊貴妃観音
戒光寺の釈迦如来に感動したあと本日(10月31日)までの公開の仏像を見に泉涌寺に向かう。泉涌寺は2009年に訪れたことがあるが、大門を過ぎてから確かここには楊貴妃観音という中国招来の仏像が祀られていることを思い出し楊貴妃観音堂に向かう。2009年7月奈良博で「特別展聖地寧波(ニンポー)」が開催されそこにこの泉涌寺楊貴妃観音が出展されており間近に拝観する機会をえたが日本の仏像にない不思議な印象だった。雑誌の解説によると泉涌寺の開山僧「俊芿(しゅうんじょう)」の弟子が鎌倉時代に令和2年度京都非公開文化財特別公開で公開されている舎利殿の韋駄天像と月蓋(がつがい)長者とともに南宋から招来した仏像だという。日本人離れした容貌から楊貴妃の冥福を祈って造られたという伝承が生まれ、江戸時代から「楊貴妃観音」と呼ばれた聖観音だ。頭には宝相唐草透かし彫りの宝冠を被り、しなやかな手に宝相華を持ち、耳たぶに花形のイヤリングがあり彩色もまだまだ鮮やかで、その名に恥じないものがある。見仏記によると口もとの曲線は慈悲を説かれる口の動きでおひげではないとのこと。その後舎利殿に向かい韋駄天と月蓋上人像を拝観したが小像であり指して印象に残らなかった。泉涌寺の塔頭の悲田院で快慶仏が公開されているので早々にそちらに向かった
2020年11月14日土曜日
特別展「聖衆来迎寺と盛安寺」②(盛安寺十一面観音)
11月1日に訪れた特別展「聖衆来迎寺と盛安寺」に出展された多くの仏像の中で最大の見どころは盛安寺の十一面観音であろう。白洲正子のエッセイで初めて紹介されたが、「先年、近江を廻っていた時、穴太の盛安寺という寺で、美しい十一面観音にお目にかかった」と書かれており、2011年愛媛県美術館開催の生誕百年特別展白洲正子「神と仏、自然への祈り」には出展されたが、私が行った世田谷美術館では出展されなかったので2014年にお寺で窓越しに参拝した。今回の特別展では露出展示で間近に拝観することができその美しさに感動した。四臂の珍しい観音像で上半身に条帛を左斜めにかけ、両肩から天衣をかけその両端は両脇を垂下して腕前で二重にU字に垂れ、合掌する両脇から体側に垂下し、両腕に臂釧を刻んでいる。複雑な着衣でありながら美しくまとめられている平安時代の優作とあらためて思った。白洲正子によると「土地の言い伝えでは崇福寺(天智天皇創建)に祀られていた」古佛と書かれていたが、最近の研究だろうか比叡山延暦寺に近い伊香立の天台寺院にあったという記録があるという。しかし白洲正子のエッセイにあるように崇福寺の唯一の遺品のほうがロマンがあると思う。大津京のあった大津市でそんなことを考え次の展示に向かった。
2020年11月7日土曜日
清水寺の二十八部衆
31日の夕方12年ぶりに清水寺に参拝した。前回は夜間桜のライトアップで大勢の善男善女が参拝し、U案内人の手招きで十一面観音お前立を見たが、その両脇におわす二十八部衆を参拝したのを覚えていなかった。感染症流行で人が少なめだったが、世界中に知られる京都の観光地だけあってそれなりに混んでいた。仁王門で写真を撮りながら舞台で有名な本堂に向かう。8月の千日詣りには内々陣の特別拝観があるが、今回は紅葉し始めの木々が映える夕方ねらいでいったため内陣からライトに照らされた十一面観音お前立を拝観。両脇を見ると薄暗い中二十八部衆が居並んでいた。見仏記のみうらじゅん氏のコメントには「薄暗いお堂の中で仏の世界観はまるでパノラマのように・・・清水寺恐るべし」とのこと。私も同感した。メモリ基盤のようにぎっしり並び、濃密な意味を持った仏像が肩を寄せ合っている。その濃さそのものが密教ではないか。売店で清水寺の写真集を購入し御朱印をいただこうと思ったが若い女性ばかりの長蛇の列だったのであきらめた。奥ノ院で改装された本堂の大屋根の写真を撮り、早々下山し、今夜の宿に急いだ。