本日、京都国立博物館に特別展聖地を訪ねてを見に京都に来ている。この展
覧会は今年4月に開催する予定だったがコロナ禍で7月に延期され開催の運びとなった。会場は新しくできた平成知新館で三階から一階までを展示に使い西国三十三ヵ所の寺院の秘宝秘仏が見れる仕掛けとなっている。三階で出会ったのが、岡寺の菩薩半跏像だ。小さくあどけない雰囲気が人気で、展覧会図録を入れるトートパックにデザインされている。二階は秘宝のコーナーで那智山経塚仏教遺品が興味深かった。仏像は一階に集中している。兵庫園教寺の如意輪観音の小ささに驚いたり建礼門院徳子念持仏の京都六角堂如意輪観音はお寺で見たより厳かな雰囲気だったり、京都松尾寺の馬頭観音の迫力に圧倒されたり西国三十三ヵ所の秘仏ワールドに酔いしれた。詳しくは後日アップするが、思いきって行って良かった。隣の三十三間堂の仏像も気になるのでグッズ購入後向かった。
高野山金剛峰寺にある四天王は鎌倉時代再興された、四丈(約12メートル)
の東大寺大仏殿四天王像の雛形として披露されたことが藤原定家の「明月記」からわかっている。東大寺大仏殿はその後戦国時代に戦火に会い現存しないが、今回出展の広目天は出来栄えもよく快慶が担当した東大寺広目天を彷彿させる仏像だ。奈良博の岩田学芸員の図録掲載の論文によると「四天王を見ると、四躯ともに顔をかなり極端に下に向け、視線を足もと近くまで落としていることがわかる。これは尋常な表現ではないが、おそらくは四丈に達する巨像であれば、このような顔と視線の向きでなければ、観者からは像の表情をうかがうことができないであろう。」これは目から鱗の話で間接的に東大寺四天王の雛形であることを証明している。快慶展前に奈良博で修理完成しておりピカピカまるで新品のように光輝いていたのが印象的だった。四躯とも修理が完了しているのでいつか機会があれば再度高野山を訪れたいと思った。
今回の毘沙門天展の目玉がこの国宝鞍馬寺の毘沙門天三尊像だ。鞍馬寺から
は約半世紀ぶりの出陳となると岩田研究員のコラムに書いてあったが、博物館側の高揚が伺える。像高175センチの毘沙門天の最大の特徴は普通は宝塔を持つ左手を額にかざし何かを睨み付けるような表情で遠くを眺める姿が実に頼もしい。この姿が製作当初のものではなくのちに後補されたものとのこと。現状の腕を取り付けた時点で平安京の鎮護という護法神として巨大な役割を公言したことになる。脇侍は妻子である吉祥天・善膩師童子でともに平安時代作の国宝で、鞍馬寺像が日本最古の三尊像だ。吉祥天はややふくよかな体つきと穏やかな表情が特徴で、すべてを包み込むような優しさを感じる。善膩師童子はあどけないながら賢げな表情を見せる。義経伝説に彩られた鞍馬の山寺の厳しさ想像しながら、この親子の仏像をみるといいだろう。
この浄土寺の阿弥陀如来は奈良国立博物館「なら仏像館」に寄託されており
一度見たことがあったが、快慶展の劇的な照明に照らされた阿弥陀如来は金色に輝き神々しいと感じられしばらく見入ったことをよく覚えている。重源に「安阿弥陀」の称号を賜った快慶は、播磨別所である浄土寺創建のおり有名な像高5メートルの現存する阿弥陀三尊を作っているがこの阿弥陀如来も製作している。見仏記によると阿弥陀如来は金というより、独特な黄色を感じさせる鎌倉時代作とのこと。それは赤い下地に金箔をはったためだ。快慶マジックにより金の輝きに暖かみを付与する効果をねらったものであろうか。どこか誕生仏を思わせる上半身裸体の仏像である。この裸体の意味は布製の法会を着せていわゆる「お練り供養」を昭和初期まで行っていたためだ。会場にはそのとき使用した快慶作菩薩面も展示されていた。みうらじゅん氏によると「腰があり得ないほど細いね。慶派がわざとプロポーションをリアルじゃなくしている」とのこと。光背や化仏の配置も快慶らしさを感じ私のお気に入りの仏像だ。ずっと見ていたいが、いましか見れない名仏が目白押しなので次の展示に向かった。