特別展「毘沙門天」を見た後、午後はならまち散策と決めていた。元興寺の
近くのお寺を調べていたら、以前TV見仏記で放送された十輪院が近くにあることがわかった。ここは石仏龕(せきぶつがん)が見どころで、花崗岩を組み合わせて造られた高さ2メートルぐらいの石の厨子だ。感じのよさそうなご婦人に拝観料を払い説明をうけた。中央の石板に本尊地蔵菩薩がレリーフで浮き上がっている。右手を降ろす形の与願印を示し、平安時代に彫られたとされる石仏だ。地蔵の左右には十王。厨子の扉に似た左右の石版にはビザンチン美術を思わせるレリーフの細かな、首をかしげた釈迦如来、そして線にエメラルドグリーンが見事に残る弥勒菩薩それに持国、多聞の二天がはさみ、最も外側には阿吽の金剛力士。ご婦人の説明によると手前ある平たい石は引導石と呼ばれていてそこに御棺おいて死者をあの世に送ったとのこと。すべてのほとけさまの目が引導石を見ているという構図になっっている仕掛けだ。TV見仏記で放送された住職に説明をより詳しく案内いただきこの石仏龕の魅力に引き込まれた。心地良い気分で御朱印をいただきお寺をあとにした。
昨日、早朝に奈良に向かい、奈良国博で開催の特別展「毘沙門天 北方鎮護
のカミ」を見てきた。この展覧会では「四天王のうちの多聞天が毘沙門天として単独で造像され信仰されることに注目し、日本から選りすぐりの毘沙門天を集め魅力あふれる毘沙門天の世界に皆様を誘いたい」という開催趣旨が書かれており、見逃せない展覧会になっていた。会場には奈良時代から鎌倉時代まで魅力的な毘沙門天が展示されていた。音声ガイドに沿ってじっくり鑑賞してきたが、第一章は「独尊の毘沙門天」として単独の毘沙門天の信仰が始まった奈良時代唯一の作例である「愛媛如法寺の毘沙門天」にはじまり西国三十三札所華厳寺の毘沙門天や躍動感あふれる「京都弘源寺の毘沙門天」から東博でお馴染みの「道成寺毘沙門天」まで等身大からわすが9センチ足らずの毘沙門天まで22体の実に様々な魅力あふれる毘沙門天の世界に引き込まれた。第二章「毘沙門天三尊像」ではおなじみの鞍馬寺の毘沙門天からアメリカロスの毘沙門天三尊(吉祥天・善膩師童子は所在不明)湛慶の毘沙門天が展示されていた。第三章は珍しい双身毘沙門天3体。最期は東寺や観世音寺の兜跋毘沙門天まで9体の毘沙門天像に圧倒された。詳細は次回に回すが毘沙門天の世界にどっぷり浸れた2時半であった。心地良い疲れを感じ昼食を取りにいつもの「大和茶漬け」の店に向かった。
特別展「出雲と大和」で三蔵法師の十一面観音の次に展示されていたのが、
この石位寺浮彫伝薬師三尊だ。藤原定恵が談山神社にもたらした三蔵法師の十一面観音はインドの仏像様式が初唐にもたらされたことが見てとらえるが、その影響が日本に広がった代表として奈良桜井にあるこの石位寺の仏像が展示されていた。図録によると中尊の如来像は袈裟を偏袒右肩(へんたんうけん)にまとい、禅定印を結んで倚座、左右の両菩薩は合掌し中尊側の足をわずかに動かしている。飛鳥から奈良時代に制作された石像だが保存状態がよく風化せずにこの状態を保っているのは奇跡的だ。念入りに彫られている仏像で薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく表されている。飛鳥時代に多く作られた塼仏の影響を受けており我が国残存石仏のなかでは最古級で最優美な仏像だ。
最後の「仏と政(まつりごと)」のコーナーでは権力の象徴が古墳から寺院
に移行したことをうけて鎮護国家の仏像を中心にみていった。その中心に展示されていたのが、當麻寺の持国天だ。當麻寺の持国天はお寺でLED照明のもと見たが、やはり展覧会の照明に照らされた像は大きく圧倒的迫力で迫ってくるようだった。白鳳時代の脱活乾漆像で像高2メートルを超える法隆寺の四天王の次に古い仏像だ。ペルシャ風な髭を蓄えた顔は図録によると中国・唐の長安周辺で流行した神将像の様式に系譜をたどることができる。身に着けた甲冑は朝鮮半島の新羅の神将像と共通することが指摘されている。ひとつの仏像にそのようなグローバルな影響が反映されていることが見て取れるのには驚きだ、後補の光背を外した展示なのでよりスッキリと仏像を鑑賞できてよかった。出雲の四天王も気になるので名残惜しいが次の展示にむかった。
今週の日曜日東博に特別展「出雲と大和」を見に行った。今年は日本書紀成
立1300年にあたり、古代の出雲と大和に焦点をあてた展示となっている。展示は日本書紀神代巻から始まり第一章巨大本殿出雲大社ではいきなり幅140センチの巨大な心御柱・宇豆柱が展示されていた。これは鎌倉時代の柱の基部で48メートルの高さを誇っていた出雲大社の本殿を支えていた。第二章では島根県荒神谷遺跡の358本の銅剣のうち168本が展示され同じく発見された銅矛・銅鐸も展示されていた。これは古代史を塗り替えることで、これだけの量の青銅器の発見は出雲に何かしら王権が存在しておることを示し日本書紀が語る国譲りの神話も事実かと思われる発見だっただろう。第三章大和王権誕生の地では画文帯神獣鏡や邪馬台国の卑弥呼が魏王よりもらった三角縁神獣鏡が33面展示されたり2メートルを超える円筒埴輪の展示もあったりと盛りだくさんだ。中でも素晴らしかったのが石上神宮の七支刀と藤ノ木古墳の鞍金具でガラス越しだが目の前の国宝の美しさに感動した。この展覧会では出雲と大和の勾玉・管玉が展示されており、いいアクセントになっている。出雲大社境内で発見された赤い瑪瑙の勾玉や出雲出土の青い勾玉はてはシルクロードを通ってやってきた管玉など美しい世界が広がっている。第四章でやっと仏像が出てきたがこれは次回に詳しく述べたい。閉館時間も迫っていたので急いでグッズコーナで図録やクリアファイルを購入し東博をあとにした。
展覧会の第二室にひっそりと展示されていたのが、土門拳の投入堂の写真で
有名な三仏寺の阿弥陀如来だ。若いころ投入堂見たさに三仏寺を訪れたことはあるが、その時蔵王権現は見たがこの阿弥陀如来は厨子に入っていて見れなかった。どうやら長年厨子に入れていたため劣化がひどく自立できない状態であったらしい。仏像の印象は頭部が大きく丸顔で眼が細く、口元が上がった表情が愛らしい平安時代の仏像だ。住友財団の助成でさびたくぎの除去や後補の彩色がはがされとても美しい。あの荒々しい修験道の聖地にこんな表情穏やかな仏像ある不思議さを感じつついつまで眺めていたかった。