先週の土曜日、木漏れ日が降り注ぐ秋の上野に特別企画「文化財よ、永遠
に」を見に行った。この展覧会は仏像修復に住友財団が助成を開始して30年を迎えるにあたり4会場で開催される展覧会で、東博では仏像の展示を本館特別室で開催しており総合文化展の入場料で鑑賞できる展覧会となっている。入口に入ってすぐには東日本大震災で被災した仏像が並び、仏像クラブでも訪れた埼玉保寧寺の宗慶作阿弥陀三尊や関西からは「南山城の古寺巡礼展」で展示されていた海住山寺の薬師如来も展示されていたが、多くは初めてみる仏像ばかりだった。仏像クラブでいわき市を訪れた際、訪問しなかった楞厳寺(りょうごんじ)の釈迦如来坐像及び迦葉・阿難立像や小田原の寶金剛寺の不動明王二童子、今年の浜松・三河仏像旅行では訪問を取りやめた財賀寺の宝冠阿弥陀如来にも出会うことができた。今回の展覧会の目玉はベトナムに昭和18年に贈られ近年になって再発見され里帰りした阿弥陀如来だろう。友人も見ごたえがあったとえらく感動したらしく早めの夕食をつばめグリル上野店でいただきながら大いに語り合った。
福田寺のことを知ったのは「TV見仏記」がはじめてだった。みうらじゅん
氏・いとうせいこう氏が福田寺を訪問しその異形な姿に恐れおののく映像が流れた。福田寺に電話予約をいれ、当日京都に着くと真っ直ぐに福田寺に向かった。今年の京都は午前中はマニアックな向日町福田寺と山崎宝積寺を訪問し午後は京都非公開文化財特別公開を巡る王道コースで計画した。お寺に着き呼び鈴を鳴らすと奥様らしき人がまず龍神堂を開けていただいた。ネットでは秘仏でご開帳日のみ拝観と書かれていたのだが、着いた早々開けていただきあの龍神とご対面した。元は雨乞いの儀式につかわれ、背景の屏風は稲穂と水が表されている。ひざまずくフンドシ姿の鬼で、お寺の奥さんの話によると手は後補であまりの不気味さに土に埋められたため、鼻は高く目玉だけ異様に飛び出している。みうらじゅん氏・いとうせいこう氏訪問の前はいきなり豪雨が降ったが、今日はかんかん照りのよい天気だった。本堂の仏像を見て、最後に龍神堂の写真を撮ろうとしたら、奥様のご厚意で龍神の写真を撮ってよいとのことで、2枚ほど写真に収め、早々にたたりが降りかかる前にお寺をあとにした。
今年京都奈良の旅を考えた訳は六年ぶりに興福寺の南円堂と北円堂が同時に
長期渡り御開帳されるということと中金堂が落慶されたためだ。特に南円堂ははじめて康慶の四天王が置かれるので期待していた。まずは南円堂に向かい不空羂索観音を拝観した。康慶が藤原冬嗣創建時の平安の古仏を真似て作ったと伝えられるのでよくできた三メートル以上の巨像だ。像高二メートルの四天王にぴったりだ。拝観時間は10分で済ませ急ぎ中金堂に向かった。
本日から京都奈良の仏像巡りをしている。午後は妙法院で令和元年の即位記念として貴重な宝物も「皇室と妙法院」と題して公開されており、この江戸時代即位の光格天皇勅巌の阿弥陀如来もその一つだ。像高104センチの金色の像で、衣には随所に菊の紋が施されている。この仏像が妙法院に安置された経緯は不明だが、光格天皇の実兄の法親王が門跡寺院妙法院の第38世門主で、妙法院が京都の芸術文化の中心となった時代だった。法親王は円山応挙など当代一流の画人、歌人、書家に学び、親しく交わった。仏像は写真で見るより上品で気品のある像だった。普段非公開の妙法院だが庫裏・大書院・宸殿も公開されており訪れて良かったと思った。
本日文化の日に仏像クラブで初めて品川文化財一般公開に参加した。戸越のお寺は法事中で拝観できなかったので、仏像クラブで2回訪れたことのある大井の大佛がある養玉院如来寺に向かった。今回あえて3回目の訪問を企画したのは、いつも拝読している「ストイックに仏像」のブログに金色に五智如来が修復されているとの情報を得たからだ。いつもの大黒様の石の彫刻の坂を上り、如来堂の五智如来を拝観した。中に入るとセンサーライトが灯るしかけになっており面目を一新した金色の江戸時代寛永の創建当時のままに復元されていた。この五智如来は品川区教育員会発行の説明によると、芝高輪にあった如来寺に安置されてあったものが、明治になって移転してきたものとのこと。薬師如来以外は火災で焼失し江戸時代に再興されたとのこと。仏像クラブの面々も寛永の当時に戻った五智如来に感動したようだ。お寺で五智如来の印鑑の入った御朱印をいただきお寺をあとにした。