運慶展では第一章「運慶を生んだ系譜」として主に康慶の作品の展示があっ
たが最初に展示されていたのが、初めて玉眼が使用された奈良長岳寺の阿弥陀三尊だった。平成22年秋に長岳寺を訪れて拝観したが玉眼にばかり目を奪われ、その先進性に気付かなかった。展示解説によると肉付きのよい体躯や深く刻まれた丸みのある衣文などに、いちはやく鎌倉彫刻が先取りされているという。特に顕著なのが右ふくらはぎ上に表される三角形状の衣のあしらいで、康慶作興福寺不空羂索観音や願成就院の阿弥陀如来・浄楽寺の阿弥陀如来に継承されていくという。作者は奈良仏師で康助とみられ後継に孫の成朝ではなく康慶を選び慶派誕生のきっかけを作ったことで知られている。定朝様全盛の時代に康慶に己の先進性を継ぐものとして康慶を選んだことが作品でもよく分かった。
最近放送されたNHKBS「仏像ミステリー 運慶とは何者だ」では私が
京都で見た六波羅蜜寺の地蔵菩薩のCT映像も放送で初めて発表された。それによると地蔵菩薩の像内納入品に五輪塔とともに大量の紙が収められていることが地蔵菩薩を上から輪切りにした映像が流されていた。この映像と私が以前購入した山本勉先生の著作「運慶に出会う」の解説をまとめるとこのようになる。この地蔵菩薩は八条高倉に運慶自ら建立した地蔵十輪院の本尊で、運慶作品にしては珍しく一木造りであるのは運慶一族に師や先祖を弔うために地蔵菩薩をつくる伝統があったとのこと。中に入っていた大量の紙は昭和初期に調査された際発見された「印仏」で地蔵菩薩を刷った343枚の一部であり得る。このことから山本先生が指摘した運慶の師であり父である康慶の菩提を弔うためにつくられたのであろう。現在のCTの技術から運慶の思いまで類推することができるのは素晴らしいことだ。ただ番組中に女優の壇れいさんが「触れてみたいようだが、触れてわいけないよう」と言っていたようにここは永遠のミステリーにしたいと感じた。
運慶は平成の時代になってもニュースになる新たな発見がある仏師だ。新出
の大日如来がニューヨークのオークションにかけられたり、最晩年作が金沢文庫で発見されたり、最近では運慶作と思われ今回出展された十二神将のひとつから運慶死後の年号が書かれた墨書が発見されたりと話題に事欠かない。しばらくの間毎年夏の東博での展覧会に出展されていた、運慶作真如苑真澄寺の大日如来にも今回の展示で驚くべき発表がなされていた。文化庁がボアスコープ(棒状の内視鏡)で大日如来の耳穴より挿入し仏像の内部の撮影に成功してたとの発表。また東京国立博物館がCT調査によりX線写真では分かりづらかった心月輪や五輪塔という像内納入品をより明確に撮影に成功した発表。どちらも静止画での説明のためいまいちイメージがつかめなかったが、先週の土曜日NHKBSで放送された「仏像ミステリー運慶とは何者か」でCG動画がながれ全体像がつかめた。真澄寺の大日如来の胎内は黄金で彩られ、5色の五輪塔形木札が梵字とお経で荘厳されており、水晶製の心月輪と五輪塔が収められているという。驚くべきことだ。だれも見れない仏像の内部にこれだけの仕掛けをするのは運慶しか考えられない。ぜひ東博のミュージアムシアター向けにVR作品が製作され大画面でゆっくりと解説が聞けるようになることを期待している。
今週の日曜日、仏像クラブで東京国立博物館平成館で開催の運慶展に出かけ
た。仏像クラブは発足以来、静岡の願成就院や横須賀浄楽寺、遠くは奈良の円成寺や興福寺を訪れ、運慶仏がひとつのテーマになって活動して来た。今回は運慶仏の31体のうち22体が集結するといううたい文句で期待が高まる。会場に入ってすぐに円成寺の大日如来が展示されていた。露出展示で見る初めての運慶の初作に引き込まれた。第一章「運慶を生んだ系譜」では初めて玉眼が使用された長岳寺の阿弥陀三尊が期間限定で展示されており、お寺で見た時よりすばらしく感動した。阿修羅展で見上げた像高2メートルの康慶の四天王や運慶作興福寺仏頭が並び、第二章では運慶の東国で活躍した仏像から京都・奈良での残された仏像が並ぶ。高野山の八大童子はガラスケースで間近に見れてよかったし、興福寺北円堂の無著・世親を囲むように最近運慶作と認められた、南円堂の四天王のコーナーは圧巻だった。第二会場では運慶作の可能性がある清水寺の観音菩薩・勢至菩薩や仏像クラブでおなじみの満願寺の観音・地蔵から運慶の後継の湛慶の毘沙門天や康弁の天燈鬼・龍燈鬼が並び、最後に問題の浄瑠璃寺伝来の十二神将が展示され、まさに息つく暇もない展示にU案内人も快い疲れを感じたと感想をのべていた。帰りにU案内人紹介の御徒町のそばやでおいしいそばを食べながら大いに運慶展の話題で盛り上がった仏像クラブの面々だった。