今回の京都・近江の旅行の目的のひとつが、33年に一度の御開帳に沸く石山
寺を参拝することだった。例年京都で一泊した翌日は隣の滋賀県の仏像めぐりをしていたが、石山寺の如意輪観音についてはさほど興味がなかった。雑誌で魅惑の観音像のひとつに如意輪観音がとりあげられ、その詳細の写真や2002年に発見された4体の胎内仏の写真を目にし、俄然興味がわき参拝の運びとなった。早朝に京都をたって一路石山寺に向かった。長い参道を通り、本堂に向かうといきなりご本尊の如意輪観音とのご対面となった。如意輪観音は平安時代後期の寄木造の丈六仏で、左足を踏み下げた半跏像だ。現存する如意輪観音は火災で焼けた奈良時代の塑像の本尊の再興像で、胸や腰周りなど、どっしりとした重量感あふれる姿で表されている。参拝しているときは大きさに圧倒され気がつかなかったが、本当の岩で出来た岩座に座っているとのこと。これは巨岩に神々が降臨するという日本古来の神道の信仰と観音信仰が結びついたものとのこと。参拝を終えて後ろに展示してある胎内仏も拝観した。飛鳥時代から天平時代に製作された金銅仏でいずれも30センチ足らずの仏像だ。雰囲気が法隆寺48体仏ににており創建当時の塑像の胎内に納められてものと考えられる。思いのほか石山寺で時間を過ごしてしまい予定の時間を過ぎていたので名残惜しいが寺をあとにした。
今年の京都・近江旅行の最後に訪れたお寺が湖南野洲市の蓮長寺だ。2日目
の近江も今年は盛りだくさんで石山寺の如意輪観音の御開帳にでかけ滋賀県立近代美術館の「つながる美・引き継ぐ心」展を鑑賞してから、福林寺の御開帳に立会い、ようやく蓮長寺にたどり着いた。事前に予約したとき御住職が不在だがお寺のご好意で見せてもらうことになった。収蔵庫に案内されると、中に等身大の檜の一木造の十一面観音が須彌檀に安置されていた。聖徳太子が刻んだ比留田観音は腰を強く左にひねったところが特徴だ。ご案内のご夫人が井上靖先生の「星と祭り」に取り上げあられていると誇らしく語ったのが印象的だった。京都駅近くの食事処「鬼河童」に予約をいれていたので名残惜しいがタクシー駅に向かった。
今週の日曜日に仏像クラブの忘年会と称して三浦の仏像とまぐろを楽しむ会を
催した。京急みさきまぐろきっぷを利用して、三浦の天養院の仏像鑑賞と京急ホテルでの入浴まぐろづくしの昼食を楽しんだ。三崎口からぽかぽかした陽気の中お寺に向かった。ここ天養院は鎌倉幕府の御家人和田義盛の菩提をとむらうお寺で、和田合戦のおり薬師如来が和田義盛の身代わりに血を流したという伝説が伝わるところ。拝観の予約をしていたので本堂にあがると客仏の薬師三尊はガルス戸が開けていただいており御住職の心使いを感じた。薬師如来は内ぐりをしていないのか木が割れており、身代わり薬師の伝説はここから生まれたのだろう。薬師三尊は平安時代の神奈川県指定文化財であたたかい三浦の風土にぴったりの穏やかな微笑みをたたえた仏像だった。脇侍の日光・月光菩薩立像も地方仏らしい雰囲気の仏像だった。お寺をあとにし仏像クラブの面々とともにまぐろが待つ城ケ崎に向かった。
昨日、紅葉ラストの北鎌倉の建長寺に向かった。目的は法衣垂下像の地蔵菩
薩に会うためだ。ここ建長寺は鎌倉五山の第一位の寺で北条時頼創建の古刹だ。新TV見仏記「鎌倉逍遥編」でもご本尊の地蔵菩薩が紹介されており、室町時代の代表的な法衣垂下像だ。本堂の中に入るとうす暗いなりにLEDでほのかに照明されているいかにも鎌倉のお寺らしい演出でじっくりしずかに拝観できた。台座を覆い隠すように垂れ下がる台座をいれると5メートルの巨大な仏像で目が青いのが特徴だ。久しぶりの拝観であったが、ひとりでじっくりと拝観できた。紅葉は終わりで夕方になるにつけどんどん気温が下がってくるので、早々に寺をあとにして帰宅した。
現在、神奈川県立金沢文庫で特別展「忍性菩薩」が開催されているので、紅葉狩りをかねてでかけた。金沢文庫に併設されている称名寺の池のほとりの紅葉は見ごろになっており、鴨が池であそんでいる写真をSOLIVE24に投稿してから、閉館時間がせまっている金沢文庫に急ぎ向かった。忍性は密教と戒律を兼ね備えた真言律の教えを広めた叡尊の弟子で関東に下向し鎌倉極楽寺を主な拠点として教えをひろめつつ、病人のための施設を造るなど社会貢献のさきがけを行った僧だ。仏像クラブで4月8日の御開帳日にみた極楽寺の清涼寺式釈迦如来立像や十大弟師、転法林印の釈迦如来、涼しい目元が理知的な文殊菩薩が展示されていた。西大寺の末寺称名寺からは清涼寺式釈迦如来と十大弟師が展示されており、極楽寺像と比較できておもしろかった。普段金沢文庫に保管されている称名寺の像のほうが圧倒的に保存状態はよいが、釈迦如来の顔で比較すると極楽寺のほうがよかった。珍しいところでは茨城の観音寺から鎌倉時代の鉄製如意輪観音が展示されており、以前TV見仏記鎌倉編で行っていたが、京都奈良の文化に対抗すると鉄製に行き着いたという関東仏の特徴が見られる仏像だった。奈良博で展示されていた奈良般若寺の文殊菩薩や茨城福泉寺のもうひとつの清涼寺釈迦如来が展示されなかったのは残念だがそれなりに楽しめて、紅葉に染まる称名寺を抜けて金沢文庫をあとにした。