櫟野寺に伝わる仏像は甲賀様式とよばれているが前期と後期では特徴があり
前期は「よく伸びた細身の体躯」「目尻の吊り上った厳しさを残す目」「裳の折り返しや腰布を独特の衣装で飾る」などがある。今回紹介する仏像も前期の特徴がある像高168センチの観音菩薩だ。櫟(らく)普及委員会のサイトに内覧会のときに御住職がみうらじゅん氏いとうせいこう氏に仏像を説明する動画がアップされていたがこの観音菩薩は大阪の美術館に預けられていたものだった。展覧会公式サイトに掲載された真船きょうこ氏のの漫画にも、「今回は各地の博物館や美術館に寄託していたお像も70余年ぶりに集合したんですよ」という住職のせりふがあり、たしかにこの観音像は櫟野寺でも見ていないなと思った。今回の展覧会がお寺でも味わえない非常に貴重な機会だということがわかった。櫟野寺のすべての仏を堪能して会場をあとにした。
今度の京都・滋賀の旅行を11月5・6日に決めたのは、滋賀湖岸の福林寺十
一面観音に会いに行くためだった。平凡社の「日本の秘仏」の表紙にも出ており、一度は拝観したいと思っていた。滋賀県草津よりタクシーに乗り、守山市の福林寺に向かった。福林寺の十一面観音は年1回、11月の第一週の日曜日との情報を事前に調べてお寺にも確認してから訪問した。お寺の中に入ると本堂の裏手が収蔵庫になっており、須彌檀にこれまで対面してきた数々の観音像とは異なる容貌をした十一面観音が、すっくと立っていらした。お顔や手の白さが際立って見えた。あとで調べてみると、頭上面、両手首先や足先・持物と同じようにあとで補われて、幾度と無く塗り替えられたといわれている。年に一度のご開帳の日で近所の善男善女でにぎわう中、そばにいたお寺の関係者の方より住職の法話を収録したテープをご好意で貸していただき、本尊を拝観しながら聞くことができた。井上靖の「星と祭り」の話も出ており、「仏さまというより天平の貴人」と書いてあるとのこと。親しみやすい庶民のみほとけが多い近江にあって、そう感じさせないからであるが、それがこの観音像の最大の魅力であろう。御朱印をいただき次のお寺を予約しているので福林寺をあとにした。
毎年行っている京都非公開文化財特別公開を朝日新聞デジタルのサイトで調べ
ていたら、昨年十二神将で盛り上がった東寺灌頂院で見仏記でおなじみの夜叉神像が公開されていることを知った。2年連続だが、遅めの昼食をすませて東寺へ向かった。夜叉神像は像高2メートル桧材による一木造。阿形・吽形の2対の雄雌像で一説には弘法大師空海の作と伝えられている。以前は南大門の左右に安置されていたが、近頃放送したTV見仏記でいとうせいこう氏が旅人が門を通るとき挨拶しないとたたりがるといういかにもTV的なコメントをしていたが、たしかに不気味である。普段は夜叉神堂のなかに祀られているが今回は非公開文化財特別公開の一貫として暗いお堂のなかにライトアップされまわりには活花がかざられており迫力があった。いつもの学生の案内人の話によると胸にある穴は蜂が巣食ったあととのこと。改めてみると、雄夜叉は目玉が飛び出しており、腕が抜けおちていた。対面の像は雌夜叉というだけあって、くるくるパーマをかけたように巻いた髪の、五頭身ほどのやはり腕がない像であった。帰りに夜叉神のミニポスターを購入して満足して東寺をあとにした。夜叉神のキシリトールを買い忘れたのは残念だがますます東寺の魅力にはまり五条の宿に向かった。
先月のことになるが東博で開催されている「禅-心をかたちに展」を鑑賞した。展
覧会は京博が春先、東博が秋から開催され展示品を一部入れ替えながら禅宗美術の至宝を通じて禅の歴史と文化を紹介する構成となっている。禅の仏たちのコーナーもあり禅宗特有の仏像・仏画の展示もあった。展示品には近頃、重文指定をうけた静岡方広寺の宝冠釈迦如来や京都宇冶萬福寺の十八羅漢像のうち羅怙羅尊者像から鎌倉でお馴染みの跋陀婆羅尊者まで展示されており、他の宗派の仏との違いが楽しめた。以外に興味をわいたのが、臨済宗中興の白隠禅師の絵画で展覧会冒頭の達磨図や自画像など実に自由奔放に描かれていていっぺんで白隠のファンになった。一部退屈な展示もあったが全体を通しては飽きさせない展示に満足して会場をあとにした。
今回、京都・滋賀旅の目的のひとつが滋賀県立近代美術館で開催されている、
「つながる美・引き継ぐ心展」を鑑賞することだった。滋賀県には大津市歴史博物館を初め多くの仏教美術を鑑賞できる美術館があるが、老朽化で閉館してしまった「琵琶湖文化館」の全国でも有数の質と量の奇託品を展示する展覧会とのこと。入ってすぐのところには近江の正倉院とよばれる聖衆来迎寺の銅造薬師如来が展示されており、平成24年に開催された「近江路の神と仏名宝展」で気になっていた東南寺の地蔵菩薩も展示されていた。今回メインの正法寺の帝釈天はガイドブックでも見たことがない仏像で近江の奥深さを感じた。次の拝観のためタクシーを草津に待たせてあったので、ゆっくり拝観できなかったが、平成32年に新設される新美術館が開館されたらまた訪問したいと思う。
今日から京都の仏像巡りを例年通りしている。毎回ライトアップが行われいる寺院を訪問しているが、今回初めて神護寺のライトアップを訪ねた。街中のライトアップと違い山中なので、訪ねる人も少なく静かなライトアップとなった。今回の目玉は神護寺金堂のライトアップで薬師如来がご開帳された。本来、薬師如来は癒しの仏だが、本像は和気清麻呂の政敵道鏡の呪詛や怨霊を鎮圧するために造られた仏像のため相手を射すくめるような鋭い眼差しを見せ、前に突出した唇などきびしい顔だちをしている。しかしながら今回はまわりが真っ暗で内陣にほのかな灯りがついており、夜のため外陣(軒先)での拝観となったので雰囲気だけを感じ取った。素晴らしい紅葉に包まれひかり輝く仏をあとに神護寺をあとにした。