2013年6月22日土曜日

光の仏

興福寺国宝館を拝観したあと、南円堂創建1200年記念南円堂・北円堂同
時開帳が6月2日までだったので、南円堂に向かった。一度南円堂の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は拝観しているので、山本勉先生が運慶作を唱える四天王を中心に拝観した。南円堂を出て北円堂に向かった。ここは運慶の最高傑作である弥勒如来(みろくにょらい)や無著・世親像が祀られているところだ。北円堂の入り口からなかを覗くと、なんと弥勒如来が輝いているではないか。近頃お堂の内部照明にLEDを採用したとのこと。ここまで違うのかと感動した。創建は光明皇后の父藤原不比等だが、鎌倉時代に運慶により再興され、無著・世親像が加えられた。やはりここにも解脱上人貞慶(じょうけい)の影響力が感じられるのではないか。堂内には多くの人がつめかけており、運慶一門の最高傑作に見入っていた。立ち去りがたい思い出堂内を後にした。これから多くの寺で照明にLEDが採用されるたびに一度見た仏像が違った印象で見れることに期待している。

2013年6月15日土曜日

山田寺の仏頭に再会する

奈良国立博物館の後、昼食をすませて興福寺に向かった。まず最初に向か
ったのがリニューアルした興福寺国宝館だ。以前奈良を訪れたときも入ったが、その後「国宝阿修羅展」を機に館内の照明や展示方法をリニューアルし、生まれ変わった。館内に入るとまず探したのが、あの山田寺の仏頭だ。白鳳時代の青年貴族の面影が漂う名品だ。国宝館では露出展示されており、劇的な照明に映し出されて、輝いて見えた。山田寺は大化の改新の功績があった蘇我倉山田石川麿の創建と伝えられる寺だった。しかし蘇我倉山田石川麿が暗殺されたため、その後寺は荒廃し、鎌倉時代に興福寺の僧たちにより盗まれた薬師如来が日光・月光菩薩とともに興福寺に移されたいわくありげな仏像だ。その後火災で焼失した際、奇跡的に頭部だけが残り、昭和12年に発見されるまで500年もの永きにわたって忘れ去られた存在だった。女帝の思い・寺院勢力による強奪や火災など数多の苦難がその顔に刻み込まれており、それでもなお遠くを見据え続ける凛(りん)とした表情は多くの仏像ファンを虜にする白鳳時代の逸品だ。この秋東京芸大美術館で「興福寺仏頭展」が開催され、東金堂の十二神将と一緒に上野で会えることになっている。みうらじゅん氏やいとうせいこう氏が仏頭大使に任命されキャンペーン展開中だ。上野で十二神将に囲まれた仏頭を今から楽しみにしている。

2013年6月8日土曜日

金剛寺の降三世明王

特別展「當麻寺」のあと、地下道のミュウジアムショップで図録を購入した
あと、「なら仏像館」に向かった。「なら仏像館」は奈良博の旧本館を一部改装してリニューアルした施設で奈良の各寺院からの奇託品の仏像が多く展示されている美術館だ。私が注目したのが特別公開されている南河内金剛寺の降三世明王だ。お寺では、大日如来・不動明王とともに三尊形式で、祀られている。最近不動明王から快慶の弟子「行快」が作者であることが判明している。通常は多面多緋(ためんたひ)で表されているが、金剛寺降三世明王は二眼二匪だ。第三室に入ると降三世明王がライトに照らされて、目の前に現れた。すばらしいの一言に尽きる。左手は拳を結び、右手は五鈷杵を持つ。きりりとした眉が印象的だ。私はしばらく見入ってその場を動けなっかた。午後の拝観もあるので、昼食をとりに奈良博をあとにした。



















2013年6月1日土曜日

當麻寺の持国天

今日仏像クラブで奈良国立博物館で開催の當麻寺展と南円堂北円堂同時開帳で沸く興福寺、三年ぶりに拝観が再開した東大寺法華堂を見に奈良へ出かけた。午前中は奈良国立博物館で當麻寺展を鑑賞した。入るとすぐ目の前に白鳳時代の當麻寺四天王持国天が迫って来た。像高ニメートルはゆうに超える飛鳥時代後期の脱活乾漆像だ。図録によると、明治時代に大幅な修理が施され、その前の状態は惨憺(さんたん)たる状態であったというのが信じられないくらいすばらしい。一体でもこの迫力だから四天王が揃ったらどうなるのだろう。當麻寺はこの展覧会を期に本堂内にLEDを導入したらしい。當麻寺に行く機会があったら、光り輝く仏像郡を見に行きたいと思った。展覧会を見終え、同じ敷地内にある「なら仏像館」の入場券もチッケットについていたので、そちらに向かった。