本日(25日)は仏像クラブの面々と伊豆の下田と河津の仏像めぐりを行った
。天気は快晴で初夏にしては涼しく爽やかな風が吹き、仏像めぐりにはもってこいの一日だった。下田に朝集合して駅前の稲田寺(とうでんじ)に向かった。ここには平安後期の丈六の阿弥陀坐像(約二メートル)がのこされており、本堂のお参りをすませ、いつでも拝観できる阿弥陀堂に向かった。扉を開けたとたん丈六の阿弥陀坐像が見え、一堂感嘆の声を上げた。宇治平等院の阿弥陀如来に匹敵する大きさで、伊豆最大の古代仏と言われている。温和な丸顔と浅く優美な衣のひだは、平安後期の特徴。脇侍(きょうじ)の観音・勢至菩薩は後補ながらユーモアのある顔つきが魅力的だ。その後河津に戻り昼食をすませた後、「ならんだの里河津平安の仏像展示館」によった。拝観後、昨年行った温泉に入り一同大満足な伊豆仏像めぐりの旅だった。
大神社展を拝観したあと、このたび新たに国宝・重要文化財に指定された
仏像を見に東博の本館に向かった。今年国宝に指定を受けた仏像は、快慶の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と眷属・願成就院の運慶阿弥陀如来・毘沙門天・不動明王及び脇侍像だ。残念ながら快慶の文殊菩薩はパネル展示だが、願成就院の仏像のうち不動明王・矜羯羅童子(こんからどうじ)制吨迦童子(せいたかどうじ)は出品される。東博本館の2階にあがり運慶仏と対面した。運慶が東国武士のイメージで作成した不動明王は力強くすばらしかった。フィギアースケートの真央ちゃんに似た矜羯羅童子・今にも走り出しそうな制吨迦童子も健在で、お寺で拝観するより明るい照明で近くでみれてよかった。よほど慌てたのか不動明王の光背をつけずに置いてあった。運慶の空間を巧みに使った演出は相変わらずで、空間にドラマを造りだしていた。最後に運慶仏をじっくり見て東博をあとにした。
国宝大神社展の神像の興奮冷めやらぬまま、本館彫刻室の仏像を見に行
った。お目当ては京都醍醐寺の聖観音菩薩立像だ。醍醐寺創建以前から伝わっているこの像は、神護寺の薬師如来に代表する、この当時はやった壇像(だんぞう)形式で作成されている。かの鑑真(がんじん)が当時はやっていた白檀の代用品として、「仏像はかやの木でつくるべき」といったという。壇像の雰囲気を出すために、表面を淡紅色で彩色している。像高は50センチと小像だが一木造りだが、すばらしい仏像だ。本体と両腕から垂れる天衣の表現がすばらしく、平安時代前期の特徴が表れた仏像だ。私は夢中でカメラのシャッターをきった。
先月の仏像半島展鑑賞の折、U案内人と「千葉の神像もみたい」と話していた
が、丁度いいタイミングでNHK Eテレの「日曜美術館」で東博開催の「国宝大神社展」の特集がやっていたので視聴した。ゲストの雅楽士東儀秀樹氏や司会の井浦新氏が好きな神像を選ぶコーナーがあり、ひきつけられた。早速私もその神像に会いたくなり、本日「国宝大神社展」に出かけた。古神宝や平家納経も素晴らしかったが、第二会場に「神々の姿」と題し神像が集められていた。この会場で1番素晴らしかったのが、東儀秀樹氏お気に入りの京都にある松尾大社(まつのおたいしゃ)の女神坐像だった。以前この女神坐像には白洲正子展にてお会いしたことはあるが、今回は男神坐像二体と合わせて三神坐像セットでの展示だった。男神坐像も女神像に劣らぬ迫力がある神像で、東博で購入した「すぐわかる日本の神像」によると「松尾の猛神」と崇められた猛々しい姿だ。製作は貞観年代で神護寺の薬師如来に通じるような霊的な威厳に満ち溢れている。松尾大社には神像専門展示施設である「神像館」なるものがあるという。やはり神像も京都なのか大将軍八神社にも神像が80体あるという。この二つの神社は京都を訪れた際拝観しようと思った。会場にはみうらじゅん氏推薦の福井八坂神社の十一面女神坐像も展示されており、2時間じっくりと鑑賞して東博の本館で展示されている新指定国宝・重文展の運慶仏を見に会場をあとにした。
本日(3日)、鎌倉国宝館で開催されている、「特別展鎌倉の至宝」を見に出
かけた。鎌倉はGW後半の人ごみでごった返していたが、館内はさほどではなかった。特別展と同時開催されている「鎌倉の仏像」から見ていったが、久しぶりに見る辻薬師堂の十二神将や、甲冑に身を固めた仏教界一の俊足ボーイ韋駄天、運慶の影響バリバリの十王像の傑作初江王は健在だった。今回のお目当ては、後半に展示されている青蓮寺の十一面観音だ。鎌倉時代に造られた仏像だが、特徴は観音に珍しい四本の腕を有している。十一面観音の化仏はあえてきちんと整列しておらず、雑然と頭の上に乗っけてある雰囲気だ。全体的には鎌倉時代後期にはやった宋風の影響があると見た。水鋲を持つ手以外は何を持っていたかは、わからず想像するだけだが、写実性と装飾性をそなえた鎌倉時代後期の優品だ。帰りに辻薬師堂の十二神将と本尊の絵葉書を購入し鎌倉を後にして帰路についた。
今回の展覧会では多くの門外不出の仏像が出展されている。ここに紹介す
る龍角寺の薬師如来もそのひとつでお寺を出た記録がない仏像だ。顔のみが白鳳で胴体は元禄に修復されたとのこと。興福寺の仏頭・深大寺の釈迦如来と並び称される名品である。関東に伝わる数少ない大型の古代金銅仏の優品である。展示会場の1番初めにあり、仏像半島の始まりを告げる記念碑的な仏像だ。面長で釣り目気味なきりっとした顔だちで、深大寺より山田寺の仏頭に近い表情をしている。くしくも今年は東京芸大美術館で「国宝興福寺仏頭展」の開催が予定されており、会場には深大寺の釈迦如来像も出展される。できれば、興福寺・深大寺・龍角寺の三体が並んで展示されればよかったのではないだろうか。図録の写真はお寺にあったときのだが、展示会場には光背なし展示されているのが残念だ。ご住職の英断ですばらしい仏像に出会えたことに感謝したい。