今年の秋訪れた平等院の阿弥陀如来は仏師「定朝」の代表作だが、京都伏見にももうひとつの定朝とその弟子たち製作の阿弥陀如来がある。それは泉涌寺塔頭の即成院に祀られている。平成21年の秋に法界寺の阿弥陀様に癒されたあと時間があったので、泉涌寺の楊貴妃観音でも見に行こうかと思い、六地蔵経由で東福寺の駅に降り立った。泉涌寺に向かう参道で何気なく立ち寄ったのが即成院というお寺だ。中には阿弥陀如来の観音・勢至菩薩を含む二十五菩薩が来迎の姿で3Dに表されていた。阿弥陀如来と二十五菩薩は平等院を創建した藤原頼通の子・橘俊綱が宇治川を挟んで平等院の対岸に安置したのが始まりと伝えられている。阿弥陀来迎の様子は絵などではよく見かけるが、実際の仏像で見るのは初めてだった。阿弥陀如来の周りの二十五菩薩はそれぞれ楽器を持って笑顔でお迎えに来てくださる様子が表されている。NHKEテレの「仏像拝観手引」でも薮内教授が言っていたが、形式化された定朝の寄木造りに二十五菩薩は仏師たちの遊びが見られる。そのためこのような楽しい二十五菩薩になったのだろう。塔頭でさえもこのような見所がある寺があるのだから、改めて京都の奥深さを感じながら次の塔頭に向かった。
法然と親鸞展で最初に展示されていた仏像がこの源智上人造立の阿弥陀如来だ。法然の愛弟子源智が師の一周忌にあわせて建立したと伝えられている。この仏像は昭和49年5月、滋賀県信楽町にある行基開創の古刹・玉桂寺の小堂で手足の指が損じ、台座も光背もはずれ、埃がかぶったまま壁にもたれていたという。調査した結果驚くべき事実が発見されたという。源智上人は平重盛の孫にあたり、源氏の平家落人狩りを逃れてひとり少年のころ法然の庵に出向き弟子入りしたという。この仏像にX線をあて胎内の文書から法然の一周忌供養のために造ったということがわかった。他には夥しい数の人の名前が記載された紙があり平清盛・源頼朝など平氏・源氏の人物の名が記載されており追善供養の意味もあったとのこと。法然の敵も味方も救わなければならないという教えを忠実に守った平氏の子源智の姿が浮かぶようだ。平和の祈りが込められた阿弥陀如来像は、法然八百回忌を迎えた2011年に浄土宗に帰ってきて、今回の展覧会に展示されていた。
この秋の京都旅行では南山城の美仏をめぐると決めていた。京都の雑誌やガイドブックなどを調べていたら「京都ぴあ」で「お顔が変わる仏像」として寿宝寺の千手観音が紹介されていた。調べると予定していた観音寺からすぐ近いとのこと。早速タクシー会社にネットでコースを示して予約した。タクシー会社の運転手から寿宝寺は予約が必要とのことで、お寺に予約をした。観音寺のあと予約の時間には少し早かったが寿宝寺を訪ねた。お寺では若いお嫁さんが応対してくれて、収蔵庫へと案内してくれた。収蔵庫の中には日本で数少ない、実際に千の手を持つ本尊の十一面千手千眼観世音菩薩がいらした。ほどなく先ほどのお嫁さんが赤ン坊を背負って仏像の説明をしてくれた。持物のない手に墨で目が描かれているところを懐中電灯であてながらの説明で親切でわかりやすかった。収蔵庫の扉を閉め仏像のお顔が、昼と夜、明るさの度合いにより全く表情が変わる説明がよかった。特に光りを落とした際の面差しは慈悲深く柔らか。見る人の心を静かな癒しで満たしゆく、素敵な仏像だ。お嫁さんから御朱印をいただいて静かに寺をあとにした。
今週の日曜日、東博に「特別展法然と親鸞ゆかりの名宝」を見に出かけた。最終日のため博物館の中は人でいっぱいだったが、仏像も何点か展示されているとのこと。最初に展示されていたのが浄土宗所有阿弥陀如来立像で法然一周忌に造立された仏像だ。少し小ぶりだがいい顔をした仏だ。会場を進むと京都知恩院のきれいな阿弥陀如来や親鸞が信仰していた聖徳太子像などが展示されていた。今回の訪問の目的はいつも鎌倉の浄光明寺で拝んでいた宝冠阿弥陀がどのように東博で展示されているかを見るためだった。浄光明寺のコーナーにまわったとたん、阿弥陀如来のあまりの神々しさに目を奪われてしまった。いつもの蛍光灯の下の阿弥陀如来と違い、東博のドラマチックな照明に映し出された阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩が光り輝いていた。この仏像の特色である鎌倉時代の関東にしかない装飾方法「土紋」もはっきりと見え、しかも宝冠阿弥陀の「宝冠」がない造像当時の姿が目の前にあった。脇侍の観音・勢至菩薩もどこかよそゆきなお顔をしていらっしゃるように感じた。感動のあまりそこに立ちすくんでしまったが、立ち去りがたい気持ちを抑えて会場をあとにした。
今回の京都仏像鑑賞旅行の目的のひとつが「京都非公開文化財特別公開」の寺院を回ることだった。日程の都合上一箇所しか行けなかったが、訪れたのが法然院だ。遅い昼ごはんを食べてから大急ぎで東山鹿ケ谷にある法然院に向かった。雨が降りしきる哲学の道を進むと法然院があった。ここは法然が晩年すごした庵があったところで静かな佇まいだ。お堂は雨のせいか暗く仏像のお顔も判別できないような状態だった。あかりひとつない中、係りの人の説明がおこなわれていた。見ると床には菊の花が25おいてあり二十五菩薩を表す荘厳(しょうごん)だという。季節により花は変わり、春は椿、夏はアジサイであったりする。仏像は鎌倉時代の阿弥陀如来で像高141センチ。檜の寄木造りで、「往生要集」をあらわした恵心僧都源信の作と伝えられている。仏像がよく見れなかったのでお寺で小学館「週刊古寺をめぐる」を購入して静かな佇まいの法然院を後にした。