tag:blogger.com,1999:blog-746436147468456454.post709715199538920583..comments2023-09-18T20:53:14.938+09:00Comments on 仏像クラブブログ: 国宝醍醐寺の虚空蔵菩薩に再会するやまちゃんhttp://www.blogger.com/profile/18405622263868167413noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-746436147468456454.post-24608808026553288682015-05-04T00:01:05.194+09:002015-05-04T00:01:05.194+09:00するどいご指摘ありがとうございます。改めて「続・古佛」を読み直してみました。貴殿のおっしゃる仏は肉か...するどいご指摘ありがとうございます。改めて「続・古佛」を読み直してみました。貴殿のおっしゃる仏は肉から離れるとは、人間のもつ生なましさを棄て、仏菩薩の相の枠内で作られるべきとの意味を言っていると解釈しました。「続・古佛」の筆者も「醍醐寺像の童顔にみられる人間らしさは異例のものだ。」と書いています。これは盛唐の気風を感じた呉道玄があえて時代にあわせた表現で仏画を書き、それを本像の作者が忠実に再現したからではないでしょうか。こんなところで勘弁願います。やまちゃんhttps://www.blogger.com/profile/18405622263868167413noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-746436147468456454.post-27215619770243839722015-05-02T18:11:43.180+09:002015-05-02T18:11:43.180+09:00このような肉質的な仏像は、日本各地に見られます。当然ギリシャ彫刻の影響を受けて日本に伝来したので当然...このような肉質的な仏像は、日本各地に見られます。当然ギリシャ彫刻の影響を受けて日本に伝来したので当然でしょう。ただ、本来仏は肉から離れる存在でしょう。それと宗教性の関連についていかがでしょうか?密教仏は密教の性格上肉質的なのはわかるのですが、そのあたりをやまちゃんは、どう解釈しますか。Anonymousnoreply@blogger.com